ヤロブアム王は悪い所から始め、その罪の穴から決して出ることはありませんでした。実は、彼はその穴から出ようとしようと全く思わなかったようです。
レハブアム王もあまり良い王ではありませんでした。
本当の祭司たちやレビ人、神様を恐れる人々は皆、ユダ(レハブアムの王国)に引っ越しました。そのため、しばらくの間、レハブアムは神様に従おうと思っていました。
ところが、急に彼は偶像礼拝をし始めました。もちろん、ユダの人々はレハブアムの模範に従いました。
なぜレハブアムが別の神々を礼拝し始めたのかははっきりしません。
一つの理由は、レハブアムのプライドかもしれません。歴代誌第二12:1によると、
レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は主の律法を捨て去った。
もしかしたら、レハブアムの母はレハブアムに悪い影響を与えたのかもしれません。列王記第一には、レハブアムの母がアモン人だと2回書いてあります。
私の推測にすぎませんが、もしかすると、その母の影響で彼が堕落したため、そのことが書かれているのかもしれません。(アモン人は偽りの神々を礼拝していました。)
とにかく、先ほど言ったように、レハブアムの民も偶像礼拝をし始めました。だから、神様は彼らに言われました。
あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨ててシシャクの手に渡した。(歴代誌第二12:5)
エジプトの王シシャクは、すでにユダの防備の町々を攻め取りました。そして、今はエルサレムを攻めていました。
レハブアムとその民は神様の言葉を聞き、神様の前にへりくだりました。そこで、神様は預言者シェマヤに言われました。
彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。シシャクの手によって、わたしの怒りをエルサレムに注ぐことはやめよう。
ただし、彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。(歴代誌12:7-8)
私たちが神様に背を向け、罪に仕え始めるとき、神様は私たちに同じようなことを言われます。
私たちが悔い改めるまで、神様は罪が私たちを治めることを許されます。そして、私たちは罪に仕えることと神様に仕えることの違いを見ることになります。
その違いとは何でしょうか。罪に仕えるとき、一時的には楽しいかもしれません。けれども、最終的に2つのことが起こります。
一つ目は、最初は私たちが罪に仕えることを選んだと思うかもしれませんが、結局は罪をやめることができないことに気づくことです。
罪に縛られてしまい、私たちにはもはや自分をコントロールする力がありません。つまり、罪が私たちを支配するようになるのです。
例えば、多くの男性がポルノを見ることがあります。最初は、それが自分自身の選択のように思われますが、最終的にはやめることができなくなります。
妻との関係を壊してしまっても、なおやめられないのです。
他の人々はアルコール中毒になり、家族や人生を破壊してしまっても、なお酒をやめることができません。
二つ目は、罪が私たちを破壊し、私たちのために神様が望んでおられる喜びを盗むことです。その代わりに、私たちに悪い代用品を与えます。
例えば、シシャク王が来たとき、ソロモンが作った金の盾をすべて取ってしまいました。それで、レハブアムは新しい盾を作りました。けれども、彼は青銅の盾を作ったのです。
罪は、そのようなことをします。素晴らしい結婚の代わりに、壊れた関係の連続をもたらします。
永遠の喜びの代わりに、一時的な幸せしか与えません。
そして、やがて私たちの人生は空しくなってしまうのです。
しかし、キリストに従うと、イエス様は私たちに永遠の命を与え、この世においても満ち足りた人生を与えてくださいます。
もちろん、私たちの人生が幸せばかりになるわけではありません。けれども、振り返ると、「満ち足りた人生だった」と言えるのです。
あなたは罪に仕えていることで、疲れていて、重荷が大きく感じられますか。
キリストに向かいましょう。主はその重荷を取り去り、あなたを休ませてくださいます。
イエス様はこう言われました。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28-30)
