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列王記第一

誰についていくでしょうか。

列王記第一15:25ー16:34

この箇所を読むと、日本の政治の状況について考えさせられます。

私は1995年に日本に引っ越しました。それ以来、現在までに総理大臣が12人もいました。

このことから、日本ではあまり強いリーダーシップがなかったことが分かります。

イスラエルも同じような状況でした。ユダの王アサが治めた時代、イスラエルでは7人の王がいました。

アハブ王が登場する前に、20年間治めた王はバシャただ一人でした。

一方で、7日間だけイスラエルを治めた王もいました。

その時代には、2人の王が暗殺され、1人は自殺しました。

しかし、その7人の王には共通点がありました。彼らはヤロブアムの模範に従ったのです。(イスラエルが二つの国に分裂した際、ヤロブアムはイスラエルの最初の王となりました。)

結果はどうだったでしょうか。その王たちは皆悪い王でした。その中でも、アハブは最も悪い王でした。

ユダは少しだけましでした。

アサは人生の前半で神様に仕えました。

その息子ヨシャパテは時々悪い決断をしましたが、ずっと神様に従いました。

その後の王たちの中には良い王もいれば、悪い王もいました。

私たちが自分に問いかけるべきことは、誰の模範に従うのかということです。

イスラエルの王たちはヤロブアムの模範に従いました。その結果、イスラエルは早く滅び、追放されました。

イスラエルの王の中には、「良い王」と呼べる人物が一人もいなかったと思われます。

一方で、ユダの王たちの中にはレハブアムの模範に従った者もいれば、神様に従った者もいました。神様に従った王たちの時には、神様が彼らを祝福されました。

私が伝えたいポイントは、私たちには選択肢があるということです。不敬虔な人の模範に従う必要はありません。

ある人々は壊れた家庭で育ちました。アメリカほどではありませんが、日本でもそのような状況は徐々に増えつつあります。

ひどい模範を示す父親もおり、その子供たちは父の背中を見て育ちます。例えば、不倫や虐待を目の当たりにした子供が成長すると、その父親を真似してしまうことがあります。

しかし、ユダのある王たちが父の模範、つまり父の罪を捨てたように、私たちも同じことができます。

けれども、それは自分の力だけではできません。もし私たちがイエス様に向かって「助けてください」と願うなら、イエス様は私たちを変え、癒してくださいます。

あなたは誰の模範に従っていますか。

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