カテゴリー
列王記第一

私たちの問題のために、神様や人々を責める?

列王記第一18:9-10、16-18

エリヤが「三年間雨が降らない」と預言したとき、アハブはエリヤをからかったのではないかと思います。

もしアハブがその預言を本当に信じていたら、きっとエリヤを牢に入れていたことでしょう。

しかし、まもなくアハブはエリヤの預言が事実であることを知りました。そしてそのとき、アハブは飢饉の原因を自分に求めるのではなく、むしろエリヤを責めました。

そこで、アハブはイスラエル国内だけでなく、多くの王国を訪れてエリヤを探しました。

さらに、他の王たちが「エリヤはここにいない」と答えると、アハブはその言葉を誓わせるほどでした。

やっとエリヤがアハブに会ったとき、アハブの苦々しい思いがはっきりと見て取れます。

これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。(列王記第一18:17)

けれども、エリヤは正直に答えました。

私はイスラエルを煩わしません。

あなたとあなたの父の家こそそうです。

現にあなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。(18)

問題が起こると、私たちはアハブのように、自分自身を省みず、他の人々や神様を責めてしまうことがあります。自分の過ちを認めるよりも、他の人々を責める方が簡単だからです。

しかし、そうすることで問題が解決することはありません。

むしろ、私たちは苦々しい思いを抱くようになり、神様に対しても、他の人々に対しても、さらには人生そのものに対しても、苦々しい思いを抱いてしまうのです。

あなたはどうでしょうか。あなた自身の決断や行動によって引き起こされた問題について、他の人々や神様を責めてはいませんか。

アハブのようにはならないでください。

むしろ、悔い改めましょう。

そして、自分の罪を認めましょう。そうすれば、癒しが始まるのです。

コメントを残す