これは聖書の中でも特に印象的な対決の一つです。それは、エリヤとバアルおよびアシェラの預言者たちの対決です。
しかし、この対決の前に、エリヤはこれらの預言者たちではなく、イスラエルの人々に語りかけました。
イスラエル人は、ヤロブアム王とアハブ王の模範に従いながら、神様への礼拝を完全に捨てることなく、他の神々への礼拝を混ぜ合わせていたようです。
そのため、エリヤは叫びました。
彼らは、ヤロブアムの模範に従って、神様の礼拝を捨てずに、他の神々の礼拝と混ぜたらしいです。(列王記第一18:21)
この話を読むと、私はこう思います。
「イスラエル人は神様が本当に存在するかどうか疑い始めたのだろうか。
彼らが神様とバアルおよびアシェラを礼拝していた理由は、神様が本当に存在するかどうか分からなかったからなのだろうか。
もしかしたら、彼らはバアルやアシェラを本当に信じていたわけではなく、ただアハブ王の模範に従っていただけなのだろうか。」
いずれにせよ、エリヤがこれらの質問をイスラエル人に問いかけても、誰も答えませんでした。すべてのイスラエル人は沈黙しました。
その後、対決が始まりました。バアルの預言者たちはバアルの注目を引くために踊り、祈り、さらには槍や剣で自分自身を傷つけて血を流しました。しかし、何も起こりませんでした。
そのため、エリヤは彼らをからかいました。
もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。
きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。
もしかすると、寝ているかもしれないから、起こしたらよかろう。(27)
でも、その預言者が何をしても、
何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。(29)
結局、エリヤは飽きてしまいました。彼は神様の祭壇を建て直し、その上に牡牛を載せました。そして、彼はこう言いました。
四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ(34)。
エリヤは三回水をたきぎの上に注ぎました。
そして、彼は祈りました。すると、
主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。(38)
イスラエル人はそれを見ると、このように叫びました。
主こそ神です。主こそ神です。(39)
もちろん、その通りです。
主は石や木で造られた偶像ではありません。主は架空の人物ではありません。
主は私たちを見てくださる方です。主は私たちの声を聞いてくださる方です。また、主は素晴らしいことを行ってくださる方です。
もしアハブ王がなお疑いを抱いていたなら、神様は三年ぶりに雨を降らせることで、その疑いを取り去られました。
では、あなたはどうでしょうか。
主こそ唯一の神です。あなたは主に従っていますか。
それとも、イスラエルの民のように神様の存在を疑っているのでしょうか。
あるいは、アハブのように、証拠を目の当たりにしても神様に従わないのでしょうか。
疑いを捨てましょう。そして、反抗の態度も捨てましょう。
むしろ、信仰によって神様に従いましょう。
