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列王記第一

イエス様についていくためにすべてを捨てる

列王記第一19:19-21

ルカの福音書で、イエス様はある人を呼ばれました。「私についてきなさい。」

その人はこう答えました。

主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。(ルカ9:61)

そして、イエス様はこう言われました。

だれでも、手に鋤をつけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。(ルカ9:62)

その話を読むたびに、私はいつも列王記の出来事を思い起こします。

その状況は実に似ているのです。

エリヤはエリシャを自分の弟子にするために呼びました。

(エリヤが自分の外套を彼に掛けたことには、「私の弟子になってください。私が亡くなった後、あなたがイスラエルの次の預言者になる」という意味がありました。)

すると、エリシャはこう言いました。

私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。(列王記第一19:20)

エリヤはその願いを許しました。なぜでしょうか。

一つ目の理由は、エリヤがただの預言者であったのに対し、イエス様は神の子であられたからです。

二つ目の理由は、呼ばれた人々の心の態度にありました。

つまり、イエス様に呼ばれた人は、おそらく家族から離れることをためらっていたため、イエス様についていく決断を迷っていました。

そして、イエス様は神様の国の働きに集中する人を求めていたので、いつも振り返るような態度の人を望まれませんでした。

一方、エリシャを見てみると、彼はそのような態度ではありませんでした。

エリシャはずっと農家として働いていましたが、エリヤに呼ばれた際に何をしたでしょうか。

彼は自分の牛を殺し、牛の用具を使ってその肉を調理し、家族と一緒に食べたのです。その後、家族から離れてエリヤに従いました。

エリシャはエリヤに従い始めた後は決して振り返ることはありませんでした。すべてを燃やしてしまったため、振り返るものが何も残っていなかったからです。

神様は私たちがそのような者になることを望んでおられます。つまり、過去をいつも振り返るのではなく、私たちを愛し、贖ってくださった方に心を集中することを望んでおられるのです。

また、私たちの持ち物に執着せず、すべてを手放してイエス様に従うことを望んでおられます。

20年ほど前、私は日本の宣教師になることについてのメッセージを聞きました。そのとき、私の牧師はこう言いました。

「日本で宣教師として仕えることを望むなら、プランBについて一切考えないでください。

たとえば、『もし全てがうまくいかなければすぐに帰国する』というようなことを考えないでください。

プランAだけを考えなさい。つまり、ずっと日本にいる計画を立てなさい。

もちろん、神様がプランBを与えてくださるなら、それは構いませんが、最初からプランBを用意しない方が良いのです。

なぜなら、日本では関係を築くのに時間がかかるからです。そして、日本人にとってその関係は非常に重要だからです。」

私はその言葉に従い、プランAだけを持ちました。そして、神様は私を祝福してくださいました。

あなたはどうでしょうか。

イエス様に従うために、すべてを捨てることができるでしょうか。

それとも、いつも振り返ってしまうのでしょうか。

パウロの言葉を心に留めておきましょう。

うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14)

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