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列王記第一

視野を失うと

列王記第一19:1-18

私たちは素晴らしい勝利を収めた直後に、すぐに落ち込んでしまうことがあります。これは本当に不思議なことだと思います。

多くの人々がそのような経験をしています。

エリヤもその経験をした一人でした。

バアルの預言者たちに勝利した後、アハブの妻イゼベルはエリヤを殺そうとしました。

もちろん、エリヤは恐れ、逃げました。そして本当に疲れ果て、木の下に座り、自分の死を願って祈りました。

どうして素晴らしい勝利の後に敗北感を味わってしまうのでしょうか。

それは、私たちが視野を失うとすぐに落ち込み、敗北を感じてしまうからです。

では、どのようにして私たちは視野を失うのでしょうか。

一つ目は、霊的な戦いの中にいることを忘れてしまうことです。

もし私たちが神様の国のために働くなら、サタンはすぐにそれに気づきます。サタンは私たちの働きを見て、決して無視はしません。

すぐに攻撃を仕掛けてきます。他の人々を通して攻撃してくるかもしれませんし、あなたの状況を通して攻撃してくるかもしれません。

勝利を得た後に「これからすべてがうまくいく」と期待することはできません。むしろ、多くの場合、更に困難な状況が訪れるのです。

そのため、パウロはこう書きました。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6:11-13)

二つ目は、体力的にも精神的にも疲れると、私たちは視野を失ってしまうかもしれないということです。

カルメル山での勝利は本当に素晴らしいものでしたが、その後、エリヤはきっと疲れてしまったことでしょう。

そして、イゼベルがエリヤを殺そうとしているという知らせを聞き、彼は逃げることとなり、さらに疲労が増したのです。

そのため、神様はエリヤと語られる前に、彼を休ませました。

さらに、天使を遣わして食べ物を与え、彼を力づけられました。

もしエリヤが精神的にも体力的にも疲れていたら、神様の言葉を正しく理解することはできなかったでしょう。

三つ目は、自分自身に注目しすぎると、私たちは視野を失ってしまうかもしれないということです。

その日、エリヤはかわいそうパーティーを開いていました。

「私は一人ぼっちです。神様の預言者は私しかいません。私は先祖たちにまさっていません。」と嘆いたのです。

エリヤのすべての言葉は「私、私、私、私」でした。

エリヤは自分自身だけに注目していました。

私たちも同じようにすると、視野を失ってしまうのです。

視野を失ったとき、どうすれば良いでしょうか。

実際的な方法として、まずはしっかりと休むことです。それだけでも、多くの問題が改善されるでしょう。

しかし、それだけでは十分ではありません。

神様を仰ぎ、神様を求め、そしてかわいそうパーティーをやめましょう。

むしろ、パウロが語ったように、神の武具を身に着けましょう。そして、神様の御心にもう一度従い始めましょう。

ある牧師はこう言いました。

「神の武具は、あなたの背中を守るためのものではありません。あなたの前だけを守るものです。」

ですから、神様に従って、前へ進みましょう。

もし、かわいそうパーティーを続けたり、戦いから逃げたりするなら、あなたの背中に矢が刺さってしまうでしょう。

あなたはどうでしょうか。視野を失ってしまったことはありますか。

Turn your eyes upon Jesus
あなたの目をイエス様に向けてください。
Look full in his wonderful face
イエス様の素晴らしい御顔をじっくりと見つめてください。
And the things of earth will grow strangely dim
そうすれば、イエス様の栄光と恵みによって、
in the light of his glory and grace.
この世の問題や困難は薄れていくでしょう。
ーーヘレン・H・レンメル

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