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列王記第一

私たちと罪との関係

列王記第一20章

アハブ王は悪い決断をする習慣がありました。この箇所では、その例を見ることができます。つまり、アハブがアラムの王ベン・ハダデをどのように扱ったかということです。

ベン・ハダデはサマリヤ(イスラエルの首都)を包囲し、攻撃を仕掛けました。

まず、ベン・ハダデはアハブの金と銀、妻たち、そして子どもたちの中で最も美しい者を要求しました。アハブはそれらすべてを差し出しました。

その後、ベン・ハダデはこう言いました。

あすの今ごろ、私の家来たちを遣わす。彼らは、あなたの家とあなたの家来たちの家とを捜し、たとい、あなたが最も大事にしているものでも、彼らは手に入れて奪い取るだろう。(列王記第一20:6)

アハブはその要求を聞いて、拒絶しました。そのため、ベン・ハダデはサマリヤを破壊すると脅しました。

そして、アハブはこう答えました。

武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない。(11)

英語のリビング・バイブルのパラフレーズはとても面白いです。

“Don’t count your chickens before they hatch.” 直訳すると、「卵がかえらないうちにヒヨコの数を数えるな」という意味です。

つまり、「勝利を得る前に自慢するな。負ける可能性もあるから」ということです。

さて、主はご自身が本当の神であることを証明するために預言者をアハブに送り、サマリヤを救うと約束されました。

珍しいことに、アハブは神様の指示に従い、二度の勝利を収めました。

その2回目の勝利の後、ベン・ハダデは恐れ、切羽詰まってアハブと契約を結びました。そして、アハブはベン・ハダデに憐れみをかけたのです。

しかし、問題がありました。神様はベン・ハダデが死ぬことを定められていました。

なぜでしょうか。それは、ベン・ハダデが生き続ければ、再びイスラエルを攻撃することを神様が知っておられたからです。

それにもかかわらず、アハブはベン・ハダデに憐れみをかけました。そのため、神様は預言者をアハブに送りました。そして、その預言者はこう言いました。

主はこう仰せられる。

「わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。」(42)

結局、そのようになりました。ベン・ハダデに憐れみをかけたため、後に彼がイスラエルを攻撃し、アハブは命を落としました。(列王記第一22章)

さらに、ベン・ハダデは再びイスラエルを包囲して攻撃し、数多くのイスラエル人が亡くなることになりました。(列王記第二6章)

では、何を学ぶことができるでしょうか。罪について多くを学べると思います。

ベン・ハダデのように、罪は私たちを破壊しようとします。

それだけにとどまらず、罪は私たちを完全に滅ぼそうとするのです。

では、私たちはどうすべきでしょうか。

その罪を完全に除去しなければなりません。

妥協は許されません。

罪と契約を結ぶことはできないのです。

罪は癌のようなものです。

癌と同じく、完全に取り除かなければ、罪は私たちの人生に広がり、私たちを死に至らしめます。

罪に対して勝利を得たと思うかもしれませんが、完全に除去しない限り、罪は再び戻ってくるかもしれないのです。

あなたはどうでしょうか。罪と妥協してしまうことがあるでしょうか。

「多分、この映画は見ない方が良いと思います。多くの性的なシーンが含まれているようですが、私は影響を受けないだろう。」

または、

「自己中心的になるのは良くないと分かっていますが、時々は自分のことを考えなくてはならないでしょう。」

しかし、罪はあなたの一部分だけを望むものではありません。罪はあなたのすべてを求めます。

罪に譲れば、最終的にはあなたを食い尽くしてしまうのです。

だからこそ、罪と妥協してはいけません。むしろ、その罪を完全に取り除き、神様の目に聖く、傷のない者になりましょう。

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