イスラエルの王アハズヤの治世は、それほど長くは続きませんでした。およそ2年間だけでした。
父アハブと同様に、アハズヤはバアルを礼拝し、またヤロブアム王が作った金の子牛を通して「ヤハウェ」を礼拝しました。
けれども、アハズヤは本当に神様に従いたいとは思いませんでした。そのため、大きな事故の後、アハズヤは自分が生き延びるかどうかを知るために、異国の神に相談しました。
そのことに対して、神様はエリヤを送りました。そしてエリヤは、アハズヤの使者にこう言いました。
主はこう仰せられる。あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。
それゆえ、あなたは上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。(列王記第二1:6)
アハズヤはそのメッセージを聞くと、五十人隊の長を、その部下五十人と共にエリヤのもとに遣わしました。
なぜアハズヤが彼らを遣わしたのかは分かりません。エリヤを捕らえるために送ったのかもしれませんし、エリヤからさらに話を聞きたかったのかもしれません。
いずれにせよ、二度にわたり、五十人隊の長はエリヤのもとに行き、高慢な態度で話しました。
神の人よ。王がこう申しております。急いで降りて来てください。(11)
おそらく、彼らは「神の人」と言いながらも、エリヤをからかっていただけだったのでしょう。
そのため、エリヤは二度、こう答えました。
もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。(10-12)
けれども、次の五十人隊の長は謙遜な態度を示し、こう言いました。
「神の人よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けください。
ご承知のように、天から火が下って来て、先のふたりの五十人隊の長と、彼らの部下五十人ずつとを、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちはお助けください。」(13-14)
そこで、神様はエリヤをもう一度アハズヤのもとに送りました。その直後、アハズヤは命を落としました。
私たちはここから何を学べるでしょうか。神様は私たちの口先だけの言葉を決して望まれません。
アハズヤは他のイスラエルの王たちと同様に、神様を礼拝すると言いながらも、神様が定められたとおりには礼拝しませんでした。
特に彼は、金の子牛を礼拝し、「これが神様だ」と宣言していたのです。
さらに、困難な時にも本当の神様に相談せず、異国の「神」に相談しました。
最初の二人の五十人隊の長はエリヤを「神の人」と呼びましたが、心の中では彼が本当に神の人だとは思っていませんでした。
けれども、最後の五十人隊の長は信仰を持ったため、神様は彼に憐れみを示されました。
私たちはどうでしょうか。神様に口先だけの言葉を捧げるのか、それとも謙遜な心を持って神様に従うのかを問われています。
ある日、
イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:10-11)
ある人は、感謝の心から喜びとともに告白します。ある人は、苦しい心から涙とともに告白します。しかし、すべての人々はイエス様の権威に従い、口先だけの虚しい言葉は消え去るのです。
だからこそ、今こそ、口先だけの言葉や態度を捨て去りましょう。むしろ、心から神様に仕え、イエス・キリストが主であることを認めましょう。
