カテゴリー
列王記第二

神様の御心に従うか自分の心に従うか

列王記第二3章

イスラエルの王ヨラムは、モアブの反逆に直面しました。モアブは、ヨラムの父アハブに貢物を送り続ける義務がありました。

けれども、アハブが死ぬと、モアブの王はその貢物を送るのをやめました。そのため、ヨラムはエドムの王とユダの王と同盟を結び、モアブを攻めるために行動しました。

再び、ユダの王ヨシャパテは悪い決断を下しました。それは、良くない同盟を結んだことです。

なぜそのような決断をしたのでしょうか。

おそらく、ヨシャパテの息子がアハブの娘と結婚していたためでしょう。

また、ユダとモアブの関係が悪かったことも理由として挙げられます。いずれにせよ、その決断はまた新たなトラブルを生み出しました。

3人の王とその軍隊が一緒に砂漠を越えたとき、水が尽きてしまいました。そのとき、現代でも多くの人がするように、ヨラムは神様を責めました。彼はこう言いました。

ああ、主が、この三人を召されたのは、モアブの手に渡すためだったのだ。(列王記第二3:10)

ヨシャパテがエリシャの助言を求めましたが、エリシャが来ると、彼はヨラムにこう言いました。

私とあなたとの間に何のかかわりがありましょうか。

あなたの父上の預言者たちと、あなたの母上の預言者たちのところにおいでください。(13a)

けれども、ヨラムは再び自分の問題の責任を神様に押し付けました。

いや、主がこの三人の王を召されたのは、モアブの手に渡すためだから。(13b)

それでも神様は恵み深く、水を備え、彼らに勝利を与えられました。

私たちが自分自身に問いかけるべきなのは、「私は本当に神様の御心に従っているのだろうか。それとも、神様の名前を使って自分自身の心に従っているのだろうか」ということです。

その違いは何でしょうか。

私たちが自分の計画を立てて、「神様、この計画を祝福してください」と祈ることは、神様の御心に従うことではありません。

それは自分自身の心に従っているにすぎません。ただ、神様の御名を自分の計画に付け加えているだけなのです。

多くの場合、その結果として、私たちは困難に陥ります。そして、「なぜ?」と問いながら、神様を責め始めます。

しかし、それは良い生き方でも良い考え方でもありません。

むしろ、私たちが祈るべきことは、「神様、あなたの御心は何でしょうか。そして、あなたの御心が私の人生に成し遂げられますように」ということです。

もし私たちが最初から神様を求めるなら、神様は私たちを導いてくださいます。そして、私たちが神様に従うなら、私たちの「することで繁栄し、また栄えることができる。」(ヨシュア記1:8)

あなたはどうでしょうか。

あなたは神様の御心に従っているでしょうか。

それとも、神様の御名を口にしながら、自分自身の心に従っているのでしょうか。

コメントを残す