エリシャの奇跡はエリヤの奇跡に似ています。
なぜでしょうか。それは、エリシャの奇跡が彼がエリヤの霊の二つ分け前を受け継いだことの証拠だったからです。
そして、エリヤがある女性の息子を復活させたように、エリシャは別の女性の息子を復活させました。
この女性とその夫には子供がいませんでしたが、苦々しい思いを持つことはありませんでした。むしろ、彼らは神様を深く愛していました。
それにもかかわらず、その女性の言葉を見ると、彼女の心には何か虚しい部分があったのではないかと思います。(列王記第二4:16)
それでも、彼女は神様を愛し、エリシャを助けたいと思いました。そこで、彼女はその夫に頼んだのです。
屋上に壁のある小さな部屋を作り、「エリシャ」のために寝台と机といすと燭台とを置きましょう。「エリシャ」が私たちのところにおいでになるたびに、そこをお使いになれますから。(列王記第二4:10)
そこで、エリシャは彼女のために何をすべきか考えました。そして、彼は彼女に尋ねました。
ほんとうに、あなたはこのように、私たちのことでいっしょうけんめいほねおってくれたが、あなたのために何をしたらよいか。(13)
おそらく、彼女は息子が欲しかっただけですが、それが無理だと思っていたため、何も頼みませんでした。
けれども、エリシャはしもべゲハジから彼らに息子がいないことを聞きました。そこで、エリシャはこう言いました。
来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになろう。(16)
一年後、その女性に赤ちゃんが生まれました。
ところが、数年後、その子供が父親と一緒に畑にいたとき、急に「頭が、頭が」と叫びました。その後すぐに、その子供は母親の腕の中で亡くなってしまいました。
もちろん、彼女は深い悲しみに陥りました。
そのため、彼女はエリシャのもとに行き、涙を流しながら訴えました。エリシャは彼女と一緒に戻り、神様の恵みによって、その息子は復活しました。
この箇所では、私たちは二つのことを学ぶことができると思います。
一つ目は、神様が命を与えられる方であるということです。
この話の中で、神様は二度命を与えられました。まず、その女性に赤ちゃんが授けられました。そして、その息子が亡くなったとき、再び命の息を吹き込まれました。
同じように、神様は私たちにも命の息を吹き込まれます。
私たちが生まれるとき、神様は命の息を吹き込んでくださいます。そして、私たちがクリスチャンになるときには、霊的な命の息を吹き込んでくださいます。
出産も霊的な新生も、神様からの贈り物です。その命を得るために、私たち自身で働くことはできません。
パウロもこのことを書きました。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8-9)
二つ目は、神様が希望を回復される方であるということです。
その息子の誕生によって、その家系が続く希望を回復されました。(長い間子供ができず、その希望が失われていたのでしょう)。
そして、その息子が亡くなったとき、神様は彼を復活させ、もう一度希望を回復されました。
神様は私たちにも同じことをしてくださいます。私たちの希望が失われたとき、神様はその希望を回復してくださるのです。
私の教会では、この歌を歌うのが大好きです。ローマ15:13とローマ8:26に基づいた歌です。
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和で満たし、聖霊の力によって望みにあふれるようにしてくださいますように。
主よ、あなたはすべてのことを働かせて益としてくださいます。 希望の神、あなたこそ私の希望です。
