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列王記第二 歴代誌第二

神様の警告を無視する

列王記第二8:16ー24;歴代誌第二21章

イスラエル人が子供に名前を付けるとき、もっと独特な名前を使えばよかったと思います。なぜなら、列王記と歴代誌を読むと、少し混乱するからです。

例えば、イスラエルでアハブ王が亡くなると、その息子アハズヤが王になりました。そして、アハズヤが亡くなると、その兄弟ヨラムがイスラエルの王になりました。

一方、ユダでは、別のヨラムがユダの王になり、彼が亡くなると、その息子アハズヤが王になりました。

つまり、同じ時期に、二つの国で二人のヨラム王と二人のアハズヤ王がいました。

とにかく、この箇所に登場するヨラム王はイスラエルの王ではありません。

イスラエルの王ヨラムはエリシャをよく知っていましたが、この箇所のヨラム王はユダの王ヨラムで、彼はエリシャをあまり知りませんでした。

ユダの王ヨラムはヨシャパテ王の息子でした。

けれども、ヨシャパテとは異なり、ヨラムは心を尽くして神様に従いませんでした。

なぜでしょうか。おそらく、彼がアハブの娘アタルヤと結婚したことが理由かもしれません。

以前私が言ったように、もしあなた自身が不敬虔な人と結びついたら、大変な状態に陥ることがあります。

この箇所にはその結果を見ることができます。

ヨシャパテが亡くなった後に、ヨラムは兄弟たちを殺そうと決めました。

私の考えですが、多分アタルヤの影響によってヨラムはそのようにしました。なぜなら、ヨラムの息子アハズヤが亡くなった後に、アタルヤも同じようなことをしたからです。

また、アタルヤはヨラムを偶像礼拝へと導きました。(歴代誌第二 21:6;列王記第二 8:18)

神様はダビデのためにその家系を守りたいと思われたため、ヨラムを悔い改めさせるために懲らしめられました。

ヨラムが神様を捨て去ったため、エドムとリブナという国はイスラエルに反逆しました。(歴代誌第二 21:10)

ある時、ヨラムはエドム人に囲まれて、逃げなくてはならない状況に陥りました。それでも、彼は悔い改めることはありませんでした。

そのため、神様は最後の警告を送りました。それはエリヤからの手紙でした。

列王記第一と第二には、エリヤとエリシャの話がたくさん登場します。しかし、歴代誌にはエリシャの名前が全く記載されておらず、エリヤの名前も1回しか出てきません。

この1回は非常に混乱させられる箇所です。なぜなら、列王記第二によれば、エリヤはすでに天国に召されていたからです。

では、ヨラムはどのようにしてこの手紙を受け取ったのでしょうか。

それは誰にも分かりません。とはいえ、いろいろな意見があります。

一つ目の意見によれば、神様はエリヤを天に連れて行かれたのではなく、「静かな場所」に導かれ、そこで死ぬまで住んでいたというのです。

そして、その場所からエリヤが手紙を送ったという説です。

興味深い意見ではありますが、私はそうは考えません。

二つ目の意見は、この話が年代順ではないというものです。つまり、この出来事の後にエリヤは天国に行ったという考え方です。

三つ目の意見は、エリヤが天国に行く前に、神様がヨラムについてのメッセージを与えたため、エリヤがその手紙を書きました。そしてその手紙をある弟子に渡し、適切な時にその弟子がヨラムに手紙を届けたというものです。

それは正しいかもしれません。

なぜなら、エリシャはハザエルの未来をよく知っていたからです。

また、クロス王(イサヤ44:28-45:1)とヨシヤ王(列王記第一13:2)が生まれる前に、神様は彼らの名前と行動をよく知っておられました。

もし預言を信じるなら、エリヤの手紙はそれほど珍しいことではありません。

とにかく、ヨラムは死んだ人からの手紙を受け取りました。

多くの人々は、その手紙を読めば悔い改めるはずです。しかし、ヨラムは悔い改めませんでした。

そのため、結局、神様は彼を裁かれました。ヨラムは重病の床で死にました。

歴代誌第二の著者は、その死について、こう記しました。

彼は人々に愛されることなく世を去った。(歴代誌第二21:20)

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが神様に背を向けるとき、神様はご自身の約束を守られるゆえに、忍耐とあわれみを示され続けるかもしれません。

神様は私たちに警告を与え、私たちの状況を通して懲らしめられることもあるでしょう。

しかし、私たちがそれを無視し続けるならば、裁きが訪れます。

私はあなたが救いを失うと言っているのではありません。けれども、もし罪を犯し続けるならば、裁きが必ず来るのです。

そして、神様の裁きは本当に苦しいものです。

神様からの警告と懲らしめを無視しないようにしましょう。むしろ、

私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。。。

霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さあずからせようとして、懲らしめるのです。(へブル書12:9-10)

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