旧約聖書の時代と新約聖書の時代の一つの大きな違いは、御霊の働きです。
旧約聖書の時代においては、時々御霊が特別な働きのために人を満たされました。多くの場合、それは一時的なものでした。その働きが終わると、御霊はすぐにその人から去ってしまわれたのです。
二つの例は、サムソン(士師記14:1;16:20)とサウル王(第一サムエル11:6;16:14)です。
ダビデはバテ・シェバと罪を犯したとき、こう祈りました。
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。(詩編51:11)
でも、このヨエルの箇所で、神様は約束されました。ある日、御霊は少数の人々に注がれるのではなく、神様のすべての民に注がれるということです。
つまり、神様は男性にも、女性にも、若者にも、年を取った人にも、御霊を注がれます。それは、終わりの日のしるしです。
使徒の働き2章によれば、御霊が来て、この予言を成就しました。
その日に、エルサレムで御霊はすべての信者たちを満たされました。周りの人々が驚いたので、ペテロはこのヨエルの箇所を引用して、何が起こったかを説明しました。
「終わりの日」は、その日から始まりました。私たちも、この終わりの日に生きています。ですから、この終わりの日は2000年以上続いています。
では、どうして神様は私たちに御霊を注がれるのでしょうか。それは、神様の働きをするためです。
その働きとは何でしょうか。裁きの日まで、福音を述べ伝えることです。
何度も何度も、旧約聖書の預言者たちは主の日について警告しました。
実際には、たくさんの「主の日」があります。
神様がある国を裁く時、それが「主の日」です。しかし最終的には、主の大いなる恐るべき日が来ます。(ヨエル書2:31)
その日に、すべての人々は神様の王座の前に来て、裁かれます。けれども、主が呼ばれた者だけが救われます。(32)
だから、御霊の働きは本当に大切です。
イエス様が言われたのは、私たちに力を与えるために御霊を送られたということです。何のための力でしょうか。
それは、イエス様の証人になる力です。つまり、イエス様の福音をこの世に述べ伝える力です。(使徒の働き1:8)
神様は、私たちが自分の霊的な賜物について自慢するために御霊を送ったわけではありません。周りの人々があなたにない賜物を持っていないからといって、彼らを見下すために御霊を送ったわけでもありません。
むしろ、裁きの日が来るまで、死にかけている世界に福音を述べ伝えるために御霊を送られました。なぜなら、その日が来たら、もう悔い改める時間がないからです。すべての人々は裁かれます。
神様は、あなたがこの世に影響を与えるために御霊を注がれました。あなたは周りの人々に影響を与えていますか。
それとも、自分自身や、神様から何をもらえるかに焦点を当てているでしょうか。
私たちが神様の御霊に満たされ、周りの人々に触れることができるように。彼らが裁きの日の前に神様を知ることができるように。
