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列王記第二

尊敬だけでしょうか。または心からの愛でしょうか。

列王記第二13:10ー25

イスラエルの王ヨアシュ(ユダのヨアシュではなく)と預言者エリシャにはどのような関係があったのでしょうか。

ヨアシュは父エホアハズやほかのイスラエルの王たちと同じように悪いことを行い、偶像礼拝をしました。

わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち(列王記第二13:14)

神様がエリヤを天に取られたとき、エリシャは同じ言葉を言いました。(列王記第二2:12)

けれども、もしヨアシュがエリシャを本当に愛していたなら、エリシャの言葉に従ったはずです。しかし、ヨアシュはそれをしませんでした。

この話で、エリシャはヨアシュに最後の命令を与えました。そして、エリシャはこう言いました。

弓と矢を取りなさい。。。弓に手をかけなさい。。。東側の窓をあけなさい。。。矢を射なさい。(列王記第二13:15-17)

ヨアシュはそうしました。そして、エリシャは言った。

主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。(17)

そして、エリシャはさらにこう言いました。

矢を取りなさい。。。それで地面を打ちなさい。(18)

ヨアシュはそれを聞いて、どう思っていたのでしょうか。

おそらく、エリシャがそのように命じた理由が分からなかったため、ためらいながら三回打ったのでしょう。

エリシャはそれを見て怒り、こう言いました。

あなたは、五回、六回、打つべきだった。

そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。

しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。(19)

エリシャの言葉は成就しました。神様の助けによって、ヨアシュはアラム人を三回打ち破り、父エホアハズから奪われた町々を取り返しました。

しかし、ヨアシュのエリシャに対する態度は、神様に対する態度によく似ていました。

彼はエリシャや神様を尊敬していたかもしれませんし、少し愛していたかもしれません。

それでも、ヨアシュは心のすべてを神様に捧げることはありませんでした。

心を尽くして神様の言葉に従うこともありませんでした。彼が捧げたのは、せいぜい心の半分、あるいはそれ以下だったかもしれません。

そのため、神様がヨアシュに多くの良いことを望んでおられたにもかかわらず、ヨアシュはその良いことをほとんど経験できませんでした。

もしヨアシュが心を尽くして神様に従っていたなら、もっと多くを成し遂げることができたかもしれません。

あなたはどうでしょうか。

心のすべてを神様に捧げていますか。

心を尽くして神様に従うことを決心していますか。

それとも、ヨアシュのように、神様を少し尊敬しているだけでしょうか。

「神様の言葉は良いかもしれないけど、ちょっと遠慮します」と言っていないでしょうか。

半端な心で神様を求めるのではなく、すべてを神様に捧げましょう。

心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、神様に従いましょう。

ある讃美歌の歌詞には、こう書かれています。

素晴らしい神様からの愛は、
私の魂、命、そして私のすべてを要求する。

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