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ヨナ書

憐みを喜ぶ神

ヨナ書3-4章

ヨナはニネベに神様からのメッセージを伝えた時、どのような態度だったでしょうか。

時折、アメリカでゲイのパレードや集会の際に、クリスチャンが「あなたは地獄に行く」と書かれた看板を持つ光景を見ることがあります。

ヨナもそのような態度を持っていたのでしょうか。彼が「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と伝えた時、心の中で「地獄に行け」と思っていたのかもしれません。

興味深い点として、ある学者はヨナのメッセージに「悔い改めなさい」という言葉が含まれていないことに注目しています。本当にヨナがその言葉を言わなかったのかは分かりませんが、4章を読むとその可能性を考えることができるでしょう。

また、ヨナの父の名前はアミタイで、「真実」を意味します。ヨナは「真実」の子であったかもしれませんが、「憐れみ」の子ではなかったのです。

そのため、ニネベの人々が悔い改めると、ヨナは深く失望しました。彼は「その悔い改めは遅すぎたのではないか。神様はまだ彼らを罰するかもしれない」とさえ思ったかもしれません。

それでヨナはニネベを出て、座り込みながら、神様がソドムとゴモラを滅ぼしたようにニネベを滅ぼすのを待ち望みました。

けれども、時が経つにつれ、ヨナの心には苦々しい思いが増していきました。彼は次第に理解したのです。「神様はニネベの人々に憐れみを与えてくださる。」

神様はユニークな方法でヨナに憐れみについて教えられました。

神様はヨナのために一本のとうごまを備えられました。それは奇跡的に早く成長し、ヨナはその陰で大いに喜びました。

ところが、一匹の虫が現れ、そのとうごまを噛んだため、とうごまはすぐに枯れてしまいました。

その後、非常に暑い天候が続いたことで、ヨナは神様に叫びました。

私は生きているより死んだほうがましだ。(ヨナ書4:8)

神様はヨナに訊かれました。

このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。(9a)

ヨナはこう答えました。

私が死ぬほど怒るのは当然のことです。(9b)

神様はそれを聞いて答えられました。

「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。

まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(10-11)

つまり、「あなたはそのとうごまを造るために何もしていないにもかかわらず、それをそんなに大切に思っていますね。

一方、ニネベには十二万以上の人々がいて、彼らは私や私の心について何も知らず、彼らの罪のために滅びなければならないと考えていました。

しかし、私はこのニネベの人々を造りました。彼らは私の大切な被造物ですから、私は彼らを深く愛しています。どうしてあなたは私の思いを理解できないのでしょうか。」

ヨナはヨナ書の著者であるため、神様の御心を最終的に理解したのかもしれません。

けれども、私たちはどうでしょうか。

ヨナのように、ある人々が地獄に行くことを喜ぶでしょうか。それとも、神様のように、彼らのために涙を流し、彼らの救いのために尽力するでしょうか。

彼らが悔い改めたとき、私たちは怒るでしょうか。それとも喜ぶでしょうか。

中には、ヨナのように真実だけを喜ぶ人もいます。その結果、彼らは「あなたは地獄に行く」と叫びながら喜びます。

しかし、神様はそのような方ではありません。神様は憐れみを喜ばれるのです。だから、私たちも憐れみを喜ぶ者であるべきです。

あなたはそのようにできるでしょうか。

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