私の娘、結実は三歳になると、だんだん正しいことと悪いことが分かるようになりました。そして、彼女は私と妻を試し始めました。
例えば、彼女がリビングテーブルに上ると、私たちは「だめ」と言い、結実はすぐに降りました。けれども、すぐにもう一度テーブルに上りました。
私たちが2ー3回注意した後、結実を自分の部屋に行かせました。彼女が謝ると、出ることを許しましたが、時々、彼女は本気で謝りませんでした。むしろ、彼女は可愛い顔をして、「ごめんなさい」と言いました。
多分、結実は「もし、可愛い顔をすれば許してくれるかな」と思ったのでしょう。
しかし、彼女が正しいことと悪いことを区別できるようになったので、私たちは許しませんでした。彼女はちゃんと謝らなくてはならなかったのです。
神様とイスラエル人の関係も同様でした。時々、彼らは主を求めるふりをしましたが、実際には姦淫の霊が彼らのうちにありました。だから、神様はこう言われました。
彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。(ホセア書5:6)
彼らは神様に対して不忠だったので、神様は彼らを懲らしめられました。そして、彼らはもう一度神様に向かいましたが、彼らの態度は私の娘の態度に似ていました。
彼らは、「ごめんなさい」と言いましたが、本気で言っていなかったのです。
例えば、6章で、イスラエル人はこう言いました。
「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(6:1-3)
それは素晴らしい言葉ですが、主の反応を見てください。
エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。(6:4)
つまり、「そんな美しい言葉を言ったり、私を求め始めたりするけれど、あなたの状態が良くなると、あなたはすぐに私を捨てる。」
そして、神様は言われました。
ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。(6:11-7:1)
また、
彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。(7:14)
また、
彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ。。。
彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。(8:2-4)
また、
エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。。。
彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。。。(8:11-13)
多くの人々は敬虔な行動によって神様を感動させようとします。しかし、日常生活で彼らが自分自身のために生きると、神様はその敬虔な行動を受け入れられません。
だから、神様はイスラエル人にこう言われました。
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(6:6)
また、
サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。(8:5)
あなたはどうですか。毎日神様を求めていますか。それとも、ただ神様を求めるふりをしているだけではありませんか。神様を欺くことはできません。神様はあなたの心をご覧になるからです。
だから、心から神様に向かいましょう。そうすれば、主は私たちを癒し、私たちの傷を包み、私たちを生き返らせ、私たちを立ち上がらせてくださいます。
