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ホセア書

悔い改め

ホセア書14章

悔い改め。

教会ではその言葉をよく耳にするかもしれませんが、教会の外ではほとんど使われることがありません。しかし、悔い改めとは何を意味するのでしょうか。この箇所でホセアはその意味を教えています。彼はイスラエル人にこう言いました。

イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。

あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。アッシリヤは私たちを救えません。

私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」(ホセア書14:1-3)

悔い改めというのはどういう意味でしょうか。悔い改めとは、神様に立ち返ることです。自分の歩んでいた道を離れ、もう一度神様に従うことを選ぶことです。

また、自分の罪を告白し、神様の赦しを求めることでもあります。さらに、自分が追い求めていたものを捨て、神様こそが必要な存在であると認めることです。そして、悔い改めは、神様の憐れみを切に求めることでもあります。

そのように悔い改めると、神様はどのように反応されるのでしょうか。

わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。

その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。エフライムよ。

もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。(4-8)

つまり、神様が私たちを赦されると、私たちは神様の愛をもう一度深く知るようになります。罪によって涸れた私たちの人生の部分が再び活力を得て、私たちは祝福されるだけでなく、私たちの周りの人々もその祝福にあずかります。

それでは、なぜ私たちはそもそも神様から逃げるのでしょうか。

神様も同じ質問を私たちに投げかけられるかもしれません。そのため、神様はこう言われました。

知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。

悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。

主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。(9)

私たちが知恵を持って自分の罪を悔い改めることができますように。しかし、それ以上に、私たちが知恵を持って、決して神様の隠れ場から離れることがありませんように。

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