アモス1:1によると、アモスはホセア、ヨナ、イザヤの時代に生きていました。また、イスラエルの王ヤロブアム2世とユダの王ウジヤの時代に預言しました。
以前述べたように、その二つの国は物質的には繁栄していましたが、霊的には貧しい状態でした。特にイスラエルがそのような状態にありました。
そこで、神様は羊飼いであったアモスをイスラエルとユダに対する預言者として召されました。けれども、アモスは主にイスラエルに対する預言者でした。
この箇所では、アモスは非常に厳しいことを語りました。ある牧師がいつも地獄と裁きについて説教するように、アモスもそのような説教をしていたのです。彼はこう言いました。
主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。羊飼いの牧場はかわき、カルメルの頂は枯れる。(アモス書1:2)
アモス1:1によると、アモスはイスラエルの隣国に対して神様の裁きについて伝えました。そして、ユダとイスラエルに対する裁きについても語りました。
最初の裁きはダマスコに対するものでした。アラム人がイスラエルを攻撃したため、アモスは神様がその王を取り除き、その民を捕らえて移されると預言しました。(列王記第二16:9でその預言が成就しました。)
次に、アモスはペリシテ人に対して預言しました。彼らが奴隷売買を行っていたためです。歴代誌第二26:6では、ウジヤ王がペリシテ人と戦い、その預言の一部が成就しました。
次はツロに対する裁きでした。彼らはイスラエルとの同盟を破り、イスラエル人を捕囚の民としてエドムに引き渡したためです。
次に、神様はエドムに裁きを下されました。
エドム人はイスラエルの兄弟のような存在でした。エドムの先祖がエサウであり、エサウはイスラエルの先祖ヤコブの兄弟だったからです。
それでも、エサウが一度ヤコブを殺そうとしたように、エドム人も怒りに駆られてイスラエル人を殺そうとしました。
さらに、神様はアモン人を裁かれました。彼らは自分の領土を広げるために残酷な行為を行っていたためです。
また、神様はモアブ人を裁かれました。彼らはエドムの王を殺し、その骨を焼いたためです。
次に、アモスはユダに対して預言しました。ユダが神様の律法を無視し、偽物の神々を礼拝していたためです。ユダの王ウジヤが神様に従ったにもかかわらず、その民はウジヤの模範に従わなかったようです。(列王記第二15:4)
最後に、アモスはイスラエル人に向かって神様の裁きを伝えました。イスラエル人は偶像を礼拝し、弱い人々を踏みにじり、貧しい人々に正義を与えず、神様のために聖別されたナジル人の誓いを破らせ、預言者たちを黙らせたのです。
だから、アモスは神様の裁きが来ると警告しました。
この箇所を読むと、少ししんどいと感じるかもしれません。
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。二つのことです。
一つ目は、神様の目から何も隠れることはないということです。神様はすべてを見ることがおできになります。
二つ目は、罪のために裁きの日が来るということです。
神様が私たちの罪に気づかない、あるいはそれを気にしていないと思うかもしれません。けれども、神様は私たちの罪に気づいており、それを重要視しています。それゆえ、神様は私たちに警告を与えるのです。
これがアモスの目的でした。アモスは人々に対する裁きを喜んでいたわけではありません。むしろ、彼は彼らが悔い改めることを望んでいました。
だから、私たち自身に問いかけるべき質問は、「神様の警告を聞いて、私は何をするだろうか」ということです。
私たちが悔い改めるなら、神様は私たちを赦してくださいます。しかし、イスラエル人のようにその警告を無視するなら、裁きが来るのです。
「神様が愛だから、私たちの罪を裁かない」と思わないでください。そうすれば、あなたは自分自身を騙すことになります。神様は正義の神であり、罪を裁く必要があるのです。
だからこそ、神様の警告を聞いて悔い改めましょう。そうすることで、神様の赦しを知り、祝福を受けることができるのです。
