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アモス書

あなたは準備ができているでしょうか

アモス書5:16-27

時々、人々はこの世を見て、犯罪や暴力、そして天災について考えるとき、神様がすぐに来て、すべてを治してくださることを望みます。けれども、彼らは本当に何のためにそう望んでいるのか理解しているでしょうか。

神様はイスラエル人にこう言われました。

すべての広場に嘆きが起こり、すべての通りで、人々は『ああ、ああ』と言い、農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を知っている者たちを呼んで来て、嘆かせる。すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。(アモス書5:16ー17)

それはなぜでしょうか。

それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ。(17)

つまり、神様が来られると、すべてを治してくださいますが、犯罪や天災だけを止めるのではありません。神様は人々の心の中にある罪も扱われます。そして、神様はあなたの罪も扱われます。「扱う」とはどういう意味でしょうか。

神様はこう言われました。

ああ。主の日を待ち望む者。主の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない。

人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇が彼にかみつくようなものである。

ああ、まことに、主の日はやみであって、光ではない。暗やみであって、輝きではない。(18-20)

神様は何を言われているのでしょうか。

人々は神様が来ると、地震や犯罪、暴力、その他の災いが終わると思います。それはその通りです。しかし、あなたの心の中に悪いことがあるなら、神様はあなたも裁かれます。

イスラエル人は「主の日」を待ち望んでいましたが、その真理を理解していませんでした。彼らは自分たちが正しい人々だと思っていましたが、神様の目には全く正しくありませんでした。

彼らは宗教的な祭りを祝ったり、いけにえやさまざまな捧げものを捧げたりしていたため、自分たちの神様との関係は問題ないと思っていました。

けれども、それ以外では、彼らは自分自身のために生きていました。そのため、神様にとっては、彼らの祭りやいけにえ、捧げものには何の意味もありませんでした。

彼らは、神様が来ればすべてが良くなると思っていましたが、事実は、神様が来ると彼らの状態はさらに悪化するということでした。

彼らの問題は、神様が何度もさまざまな災いを通して警告されたにもかかわらず、その警告を無視し続けたことです。したがって、神様が来るのは、イスラエルが望んだ救いのためではなく、彼らの裁きのためなのです。

そのため、神様はこう警告されました。「あなたたちはライオン(この世の災い)から逃れることはできるが、熊(自分の罪のための裁き)に会う。」(19)

つまり、神様が来られたとき、イスラエル人は準備ができていなかったのです。あなたはどうですか。神様に会うための準備はできていますか。

宗教的な行動だけでは不十分です。教会に行ったり、十一献金を捧げたり、日曜日に良い行いをしたりするだけでは足りません。

むしろ、あなたはあなたの人生全体を神様に捧げる必要があります。あなたの心を神様に捧げなくてはなりません。

最も重要なのは、あなたの救いのために自分自身の努力に頼るのではなく、イエス様とその十字架の働きに信頼することです。

そうすれば、「主の日」は喜びの日となるでしょう。しかしそうしなければ、その日は裁きの日となります。

あなたは準備ができていますか。

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