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イザヤ書

解決方法を知らない

イザヤ書3:1-7

選挙の時に、多くの政治家はたくさんの約束をします。彼らは社会の問題について話し、「私に投票すれば、すべては変わる」と約束します。

しかし、多くの場合、何も変わりません。

もし、ある政治家が「私は解決方法を全然知りません。私に投票しないでください。他の政治家にも投票しないでください。なぜなら、誰も解決方法を知らないからです。」と言ったら、人々はどう反応するでしょうか。

多分、人々はその人に投票しないでしょう。一方では、彼が他の政治家よりも正直だと思います。けれども、自分の無能を認める人に投票するのは難しいものです。

さて、神様はユダとイスラエルにそのような状況を起こされました。列王記では、イスラエルが国としてどれほど速く崩れたかを、後で私たちは見ることになります。一方、この箇所では、神様はユダに語っておられます。

ユダ人が神様に背を向けたので、神様は彼らに警告されました。

「私はあなたの食糧と給水を取り除きます。それだけではなく、あなたのリーダーたちと助言者たちを取り除きます。その人々の代わりに私は解決法をよく知らない若者をあなたに与えます。」

そのとき、人が父の家で、自分の兄弟をとらえて言う。「あなたは着る物を持っている。私たちの首領になってくれ。この乱れた世を、あなたの手で治めてくれ。」

その日、彼は声を張り上げて言う。「私は医者にはなれない。私の家にはパンもなく、着る物もない。私を民の首領にはしてくれるな。」(イザヤ書3:6-7)

つまり、ユダ人は必死で、だれかが他の人々よりもちょっとお金があったら、その人をリーダーにしようとします。

しかし、その人はこう答えます。「私は解決法をよく知りません。私はうまく家族を世話することができません。なのに、どうして私はこの国をリードできるでしょうか。」

この社会の問題の解決法を見つけるために、私たちはどこを捜しているでしょうか。政治家を求めるでしょうか。

彼らは解決法を知りません。歴史を見れば、それが分かります。なぜなら、多くの政治家は神様とその道をよく知らないからです。

イスラエル人はそのような人々でした。彼らが神様から逃げたので、すぐに彼らの希望はなくなりました。そして、彼らが神様から離れたので、だれも彼らの問題の解決法を知りませんでした。

もし、社会の問題の解決法を見つけたいなら、希望を与えてくださる神様を求めなくてはなりません。神様とその道に従わなくてはなりません。

そうしないと解決法を見つけられません。なぜなら、神様から離れたら解決法がないからです。

有名なクリスチャン、チャールズ・コルソンはこう言いました。

希望はどこにあるのでしょうか。私は、社会の腐敗に心を痛め、落ち込んでいる人々に何度も出会ってきました。

私たちの希望は、政治家にあるのではありません。新しい法律から得られるものでもありません。この国の実績に根ざすものでもありません。

私たちの希望は、人々の心の中に働いておられる神様の力です。 それこそが、この国の希望であり、私たちの人生の希望でもあります。

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