イザヤ書3:9を読んで、私はこの箇所が本当に印象に残っています。
彼らの顔つきが、そのことを表わしている。彼らは罪を、ソドムのように現わして、隠そうともしなかった。
ああ、彼らにわざわいあれ。彼らは悪の報いを受けるからだ。
日本の社会については分からないけど、アメリカの社会では、そのような人々は増えています。彼らは罪を犯しますが、もう恥ずかしいと思うことはありません。むしろ、彼らは誇っています。彼らは自分の罪について自慢します。
もし、誰かが彼らの振る舞いが罪だと言うと、彼らはこう返事します。「あなたは偏狭だ。」
ソロモンはこう書きました。「日の下には新しいものは一つもない。」(伝道者の書1:9)
それは本当です。ソドムの罪は決して消えていませんでした。それに、ソドムの罪は悪かったですが、私たちの罪もそんなに違いはありません。
しかし、罪を犯すと、恥が来ます。
この箇所で、イザヤは貧しい人々を虐げた金持ちたちを責めました。またその妻たちを責めました。多分彼らは二つの方法で自分の罪を表しました。
一つ目は、夫たちが貧しい者を虐げることによって金持ちになったのに、その妻たちが貧しい者の前に自分の富を見せびらかしたことです。
二つ目は、性的な罪を犯したかもしれないことです。
イザヤはこう記しました。
シオンの娘たちは高ぶり、首を伸ばし、色目を使って歩き、足に鈴を鳴らしながら小またで歩いている。(3:16)
けれども、イザヤは彼らに警告しました。ある日、彼らの富はすべて取られます。戦争が起こり、彼らは追放されます。その日、彼らの富が取られて、彼らの恥しか残らないのです。
こうして、良いかおりは腐ったにおいとなり、帯は荒なわ、結い上げた髪ははげ頭、晴れ着は荒布の腰巻きとなる。
その美しさは焼け傷となる。あなたの男たちは剣に倒れ、あなたの勇士たちは戦いに倒れ、その門はみな、悲しみ嘆き、シオンはさびれ果てて地に座す。
その日、七人の女がひとりの男にすがりついて言う。
「私たちは自分たちのパンを食べ、自分たちの着物を着ます。私たちをあなたの名で呼ばれるようにし、私たちへのそしりを除いてください。」(3:24-4:1)
第4章1節は少し分かりにくいかもしれませんが、当時の文化では夫と子供がいない女性は恥ずかしい存在とされていました。
しかし、戦争で彼女たちの夫たちは亡くなってしまうので、男性はほとんど残りません。それでも、彼女たちは必死に夫になる男性を探します。その男性が彼女たちをうまく世話できないにもかかわらず、その人と結婚したいと思うのです。
この箇所のポイントは、罪を犯すと恥が来るということです。
あなたの罪を誇示するかもしれません。あなたの罪について自慢するかもしれません。けれども結局、あなたには恥しか残らないのです。
だから、この世の人々とは異なり、罪を愛さないようにしましょう。むしろ罪から逃げて、私たちの恥を取り去り、私たちに栄光と誉を与える神様を求めましょう。
