カテゴリー
イザヤ書

私たちの防御が無くなると

イザヤ書5:1-7

私は雨が降っても全然傘を使いたくない人々が分かりません。ずぶ濡れになっても彼らは気にしません。彼らにとっては濡れることは傘を持つことよりも楽です。

時々、日本人の友だちが私にこう尋ねます。「どうして外国人は傘を使わないのですか?」

私にはさっぱり分かりません。

とにかく、イスラエル人はそのような人々でした。

彼らは神様の国民でした。神様は彼らをエジプトから解放して、新しい所に連れて行き、その土地を与えられました。神様は彼らに言われました。

「もしあなたがたがこの契約を守ると、私はあなたがたを守り、祝福します。けれども、そうしないと、もし私が与えた防御から離れると、あなたの人生はダメになってしまいます。」

しかし、結局イスラエル人はそうしました。彼らは神様に背を向けて、偽物の神々を礼拝し始めました。

この箇所はその問題を説明します。

神様はイスラエルとユダをぶどう畑と比べられます。神様は、

そこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。(イザヤ書5:2)

しかし結局、実ったのは酸いぶどうだけでした。

だから、神様はイスラエル人に尋ねられました。

わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。

なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。

イスラエル人はその話が理解できていなかったので、神様ははっきり説明されました。

まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。

主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。(7)

イスラエルが酸いぶどうを結んだから、神様は警告されました。

さあ、今度はわたしが、あなたがたに知らせよう。

わたしがわがぶどう畑に対してすることを。その垣を除いて、荒れすたれるに任せ、その石垣をくずして、踏みつけるままにする。

わたしは、これを滅びるままにしておく。枝はおろされず、草は刈られず、いばらとおどろが生い茂る。わたしは雲に命じて、この上に雨を降らせない。(5-6)

つまり、こういうことです。「これまで、わたしは敵からあなたを守り、損害からも守ってきた。けれども、これからはあなたを守らない。あなたを囲んでいた垣と石垣を取り除く。あなたは荒れ果てた地のようになり、茨とおどろだけが生い茂る。」

私たちが人生を罪にささげたら、神様はそのようにされます。神様が私たちの防御を取り除いて、私たちは罪の結果を刈り取ります。

パウロはコリントの教会に悔い改めない人に関してこう書きました。

このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主{イエス}の日に救われるためです。。。

その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。(第一コリント5:5,12)

つまり、「その人の防御を取り除きなさい。今まであなたの教会が彼を守りましたが、もう守るな。彼を追い出して、サタンに引き渡しなさい。」

どうして、パウロはそのようなことを言ったのでしょうか。その人を滅ぼすためでしょうか。違います。パウロの希望はその人が悔い改めて救われることです。

神様は私たちを滅ぼすために私たちの防御を取り除かれません。むしろ、神様の希望は、私たちが神様から離れる人生が惨めなことが分かって悔い改めることです。

あなたはどうですか。あなたは神様が与えた防御を軽蔑するでしょうか。神様が気にしないと思って罪をわざと犯すでしょうか。

そうすると、あなたの防御がなくなります。その結果は喜びではなく、惨めな人生です。

そのような人生を選ばないでください。本当のぶどうの木であるイエス様に繋がり、良い実を結びましょう。そうすれば、真の喜びと、神様が備えてくださる素晴らしい人生を見いだすことができます。

コメントを残す