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イザヤ書

兄弟のための思いやり

イザヤ書15ー16章

兄弟の憎しみは他の憎しみよりも大変なことです。なぜなら、私たちは自分の兄弟からもっと期待するものだからです。

モアブ人はイスラエル人ともっと親しい関係があるべきでしたが、全然親しくありませんでした。

彼らの先祖はアブラハムとロトでした。アブラハムはロトのおじでした。そして、アブラハムの子孫たちはイスラエル人で、ロトの子孫はモアブ人でした。

それでも、その二つの国の関係は大部分において悪いものでした。

そして、この箇所で神様はモアブを裁かれました。しかし、イザヤのモアブへの裁きに対する反応は、他の国々の裁きに対する反応と違いました。

イザヤは言いました。

わたしの心はモアブのために叫ぶ。。。

それゆえ、わたしのはらわたはモアブのために、わたしの内臓はキル・ヘレスのために立琴のようにわななく。(イザヤ書15:5;16:11)

どうしてイザヤは、イスラエルとユダの敵のために泣いていたのでしょうか。多分彼らは兄弟のはずだったからです。だからモアブはユダやイスラエルと仲良くないのに、イザヤはまだその人々を愛していました。

イザヤはモアブ人に、「保護のためにユダに行ってください」と言いました。

そして、ユダ人にイザヤは言いました。「モアブ人を受け入れて、保護してください。」

また、イザヤはモアブ人を慰めようとしました。彼は言いました。

「しいたげる者(アッシリヤ人)は死にます。もしあなたがユダに行ったら、あなたは安全と正義を見つけることになるでしょう。」(イザヤ書16:1ー4)

そしてイザヤは言いました。

一つの王座が恵みによって堅く立てられ、さばきをなし、公正を求め、正義をすみやかに行なう者が、ダビデの天幕で、真実をもって、そこにすわる。(イザヤ書16:5)

つまり、彼らには一つの希望しかありませんでした。それは、将来のエルサレムを治められる救い主です。

残念なことに、モアブ人はイザヤの言葉を無視しました。だからイザヤは彼らに言いました。

雇い人の年期のように、三年のうちに、モアブの栄光は、そのおびただしい群衆とともに軽んじられ、残りの者もしばらくすれば、力がなくなる。(イザヤ書16:14)

この箇所を読むと、私たちを憎む人々に対する思いやりの必要を思い出します。

時々親友は私たちを裏切ります。しかし、彼らが苦しむ時、私たちは喜ぶべきではありません。むしろ私たちは彼らのために祈るべきです。

そしてイザヤのように、私たちは彼らに「イエス様に向かってください」と願うべきです。また、彼らのただ一つの希望はイエス様にあることを伝えるべきです。

あなたはどうですか。あなたを憎む人々が苦しむ時に、あなたは喜ぶでしょうか。それとも泣くでしょうか。

「彼らが苦しんで良かった」と言いますか。それとも彼らの癒しのために祈るでしょうか。

イエス様は私たちに教えられました。

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)

イエス様にとっては、それは言葉だけではありませんでした。イエス様はその言葉に従われました。十字架で死にかけているときにも、イエス様はご自身の敵のために祈られました。

その愛によって、イエス様を信じる私たちは救われました。

私たちも、その受けた憐れみを、私たちを傷つけた人々に与えるように。

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