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イザヤ書

砕かれた人々のための希望

イザヤ書21:1ー10

この箇所はちょっと難しいです。多くの聖書の学者によれば、この箇所はペルシア人とメディヤ人がバビロンを攻撃することを預言しているものです。とはいえ、ほかの可能性もあります。

その攻撃の150年以上前に、バビロンはメディヤ人とエラム人と同盟を結んでアッシリヤを攻撃しました(紀元前700年ごろ)。

そしてユダはそれを見て、その同盟を応援しました。なぜなら、アッシリヤはユダも虐げたからです。

イザヤもそれを見て、希望を持ったかもしれません。けれども、イザヤはこの主からの幻を見て、泣きました。なぜなら、その攻撃は失敗して、バビロンが倒れたからです。(イザヤ書21:3-4)

最初にその攻撃について聞いた時、ユダ人たちは大宴会を催しましたが、バビロンが倒れたニュースを聞いたら、希望がなくなって、その大宴会は急に終わりました。

しかし、イザヤは彼らに言いました。

踏みにじられた私の民、打ち場の私の子らよ。私はイスラエルの神、万軍の主から聞いた事を、あなたがたに告げたのだ。(イザヤ書21:10)

この言葉は脱穀された穀物の絵です。最初に穀物の穂は踏まれます。そして、その穀物の種が出て、農夫はその穀物を空気中に投げます。そうすると、風によってその要らない殻が吹き飛ばされて、穀物は落ちて保存されます。

そのように、神様はユダ人たちがアッシリヤ人に踏まれたとしても、神様が主を愛して仕える残りの者を保護すると約束されました。しかし、以前ユダ人が信頼したバビロン人たちは殻のように吹き飛ばされるのです。

時々私たちは困難な時に、ユダ人のように助けを探しますが、神様に向かいません。けれども、結局その助けが無駄になって、私たちは砕かれるように感じます。

しかし、もう一度神様に向かって信頼すると、神様がまだ私たちのために計画を持っておられるので、私たちには希望があることが分かるようになります。

あなたは砕かれたと思うでしょうか。あなたは助けを探しているけど、神様があなたの人生に何をされるのか無視しているでしょうか。

神様はあなたを癒すことができます。まだ希望があります。

もしへりくだって神様に立ち返り、悔い改めるなら、神様はあなたを癒してくださいます。神様に信頼するなら、神様の力によってあなたの人生は回復するのです。

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