イザヤ書を読むのをしばらく休みます。二つの理由があります。
一つ目は、イザヤがもうすぐエルサレムに対して預言するからです。この箇所では、ミカも同じことをします。
二つ目は、聖書の経緯をキャッチアップしなければならないからです。
ミカとイザヤは同じ時代に預言しましたが、ミカはイザヤの少し後に預言を始めました。イザヤはウジヤ王の時代に始めましたが、ミカはウジヤの息子ヨタム王の時代に預言を始めました。
この箇所では、北イスラエル王国はまだ立っていますが、ミカが預言したように、すぐに倒れます。彼らが偶像礼拝を行ったので、ミカは警告しました。「裁きが差し迫ります。もうすぐ、あなたの都市はすべて倒れ、あなたが信頼する偶像は砕かれます。」
そして、ミカはユダに対して話し始めました。二つの箇所が私に印象に残りました。
一つ目は9節です。
まことに、「イスラエル」の打ち傷はいやしがたく、それはユダにまで及び、わたしの民の門、エルサレムにまで達する。(ミカ書1:9)
そして13節です。
ラキシュに住む者よ。。。それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯したそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ。
つまり、イスラエル人は偶像礼拝を始めて罪を犯しましたが、その罪はユダにも及びました。
ここに少し皮肉なことがあります。ラキシュはユダの要塞都市の一つでした。そのため、ラキシュはユダを守るべき存在だったのです。けれども、ラキシュに霊的な隙が生じ、それが物理的な隙へと繋がりました。
ミカが預言した通り、アッシリアがユダを打ち砕きました。そしてアッシリアはエルサレムを包囲しました。その時、やっとユダの民が悔い改め、神様が彼らを救い出してくださったのです。しかし、それはまた別の話です。
罪がユダにこっそり入り込み、その人々を汚したように、私たちも気をつけなければ、この世の罪が私たちの心にこっそり入り込み、私たちを汚してしまいます。
どれだけのクリスチャンが罪に陥るのを見たことがあるでしょうか。多くのクリスチャンが姦淫を犯したり、お金に執着するようになったりします。
この世を見ると、時々罪が魅力的に見えることがあります。私たちはその罪が良いものだと思い、欲してしまいます。
しかし、イスラエル人とユダ人のように、その罪は私たちを荒廃へと導きます。それは私たちの家族を荒廃させ、信仰を荒廃させ、人生をも荒廃させます。
ですから、罪に対して注意を払いましょう。そして、神様の目に聖い者となり、神様を喜ばせる者となりましょう。
