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歴代誌第二

悔い改めの招き

この箇所の興味深いポイントは、この時代、イスラエル王国とユダ王国がまだ仲が良くなかったということです。

イスラエル王国はすでに崩壊し、多くのイスラエル人が追放されていました。それでも、ヒゼキヤは残ったイスラエル人たちに手を差し伸べました。

ヒゼキヤはこう言いました。

「私たちもあなたがたのように神様に背を向けたため、罰を受けました。でも、今私たちは神様のもとに戻ります。あなたがたも神様に立ち返りませんか。」

この箇所を通して、私たちは人々を悔い改めに招く方法を学ぶことができます。

一つ目は、たとえ相手が私たちを傷つけたとしても、私たちには憐み深い心が必要だということです。私たちは彼らを赦さなくてはなりません。

ヒゼキヤの父アハズの時代には、イスラエル人がアラム人と協力して、ユダ人たちを苦しめていました。(イザヤ書7章)

けれども、アッシリヤがイスラエルを倒したとき、ヒゼキヤは情け深い心を持ち、彼らを神様に立ち返るように招きました。

私たちもそのような心を持つ必要があります。たとえ相手が私たちを傷つけても、私たちは彼らの悔い改めと救いのために祈るべきです。

残念なことですが、多くの場合、私たちは相手の苦しみを見て、手を差し伸べることなく喜んでしまいます。そうしないようにしましょう。

二つ目は私たちのメッセージについてです。救いのメッセージとは何でしょうか。

「神様に戻ってください。あなたがたは神様に背を向けたため、あなたがたの人生はめちゃくちゃになってしまいました。

それでも、神様はあなたがたをまだ愛しておられます。そして、神様のもとに戻るなら、神様はあなたがたを赦し、癒してくださいます。

ですから、悔い改めませんか。」

これが私たちのメッセージです。悔い改めと希望のメッセージです。

最後に覚えておいてください。私たちは人々の反応をコントロールすることはできません。

多くのイスラエル人はヒゼキヤのメッセージを聞いて、彼とその使者たちをからかいました。

しかし、あるイスラエル人たちは遜った心を持ってエルサレムに行き、ユダ人と共に過越の祭りを祝いました。

そして、その祭りの後で、彼らはユダ人たちと共にユダの偶像礼拝の場所を打ち壊しました。

その後、彼らは自分の国に戻り、自分たちの偶像礼拝の場所も打ち壊しました。

ある人々は福音のメッセージを拒絶します。それでも、がっかりしないでください。私たちは彼らの反応をコントロールすることはできません。

他の人々はそのメッセージを聞いて、神様に立ち返ります。ですから、どうか頑張ってください。そのメッセージを伝え続けてください。

神様はイザヤにこう言われました。

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55:10-11)

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列王記第二 歴代誌第二

神様に立ち返る

少し久しぶりに歴史書に戻りましょう。

この箇所では、私たちはユダの素晴らしい王の一人に出会います。彼の名前はヒゼキヤです。

列王記の著者はヒゼキヤについて次のように書いています。

彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。(列王記第二18:18:1-5)

実は、ヒゼキヤの父アハズは酷い模範でした。

しかし、多分ヒゼキヤはイスラエル王国の崩壊を目の当たりにし、預言者ミカやイザヤの警告を聞いたことで、すぐに悔い改め、ユダを再び神様に向ける決意をしたのだと思います。

ヒゼキヤの人生を見ると、私たちがどのように神様に立ち返るべきかが分かると思います。

まず、ヒゼキヤはユダの民が礼拝していた偶像を取り除きました。

その中にはモーセが作った青銅の蛇も含まれていました。この青銅の蛇は、イスラエル人が荒野をさまよった際に、神様が蛇の毒からの癒しの手段として用いられました。

ところが、ユダの民はこの青銅の蛇を偶像として礼拝し始めたため、ヒゼキヤはこの蛇を打ち砕いたのです。

同じように、私たちが神様に戻りたいと願うなら、私たちも自分の偶像を捨てなければなりません。

もちろん、仏教の偶像や仏壇を捨てるべきですが、それだけでなく他の「神々」も捨てる必要があります。例えば、「お金の神」や「持ち物の神」です。

もし何かを神様よりも大切にしているなら、それはあなたの偶像です。

もちろん、文字通りにお金や持ち物を捨てるわけではありません。けれども、すべてに優先して神様を第一にし、大切にしなくてはなりません。

青銅の蛇のように、かつてはあなたの偶像が良いものだったかもしれません。例えば、あなたの趣味です。

ところが、その趣味によって神様との関係が疎かになり、神様のための働きを怠っているのであれば、その趣味をしばらく置いておく必要があるでしょう。

偶像を取り除いた後、ヒゼキヤは神様の宮を掃除し、清めました。

私たちクリスチャンはキリストの宮です。キリストが私たちの内に住んでおられるのですから、その宮を清める必要があります。つまり、偶像を捨てる必要があります。

それと共に、私たちは神様に罪を告白し、悔い改める必要があります。

ヒゼキヤの時代では、罪のためにいけにえを捧げなければなりませんでした。(歴代誌第二29:23-24)

しかし、私たちにとってイエス様こそが最後のいけにえです。イエス様は十字架で死んで、私たちの罰を代わりに受けてくださいました。

そして、イエス様の血が私たちをすべての罪から清めてくださいます。(第一ヨハネ1:7)

ただし、清い心を保つためには、私たちは常に罪を告白し、悔い改める必要があります。

ヨハネは次のように書いています。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:9)

最後に、ヒゼキヤとユダの民は、もう一度自分たち自身を神様に捧げました。彼らは神様にこう言ったのです。

「私たちはあなたのものです。私たちの人生をもう一度あなたに捧げます。」

私たちも同じようにするべきです。

罪に背を向けるだけでは不十分です。神様に向き直らなくてはなりません。

偶像を捨てるだけでは十分ではありません。心を尽くして神様に従わなくてはならないのです。

あなたはクリスチャンであっても、神様から離れてしまったかもしれません。

かつては神様と共に歩んでいたとしても、今は神様から遠ざかっているかもしれません。

それでも、今も神様はあなたを愛しておられ、あなたのために待っておられるのです。

だから、もし神様に戻りたいと願うなら、次のように祈ってください。

イエス様、私はあなたから離れてしまい、自分の道を歩んでいました。どうか赦してください。

あなたの言葉にはこうあります。「もし私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第一ヨハネ1:9)

今、私はあなたに立ち返ります。私の偶像を捨てる助けを与えてください。そして、私の心の王座にもう一度座ってください。

あなたの恵みと憐れみに感謝します。私を決して諦めないことに感謝します。

あなたのみ名によって祈ります。アーメン。