平和。
あなたは平和を得るために、どれほどの代価を払うつもりですか。ミカの時代、多くのイスラエル人がそのように考えていたかもしれません。
現代でも、多くのユダヤ人が同じように考えているかもしれません。
この箇所では、ミカはエルサレムの崩壊について預言しました。その日、ユダの王が打たれ、倒れます。
とはいえ、ミカが伝えたのは、それがイスラエルの終わりではないということです。むしろ、ミカはこう言いました。
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ書5:2)
もちろん、これはイエス様についての預言です。ヘロデ王がメシアがどこから来るのかを尋ねたとき、祭司たちと律法学者たちはこの箇所を引用しました。(マタイ2:6)
ミカはイエス様についてこう預言しました。
彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。(5:4)
5節では、英語の翻訳と新改訳は少し異なります。実は、この箇所では、日本語のリビングバイブルと英語の翻訳が一致しています。このように書かれています。
その方は私 たちの平和となる。(5)
ミカ時代のイスラエル人は、この言葉を聞いて慰めを受けたかもしれません。なぜなら、彼らは長い間トラブルを経験してきましたが、平和を与える方が来るという希望があったからです。
皮肉なことに、イエス様は来られました。しかし、イスラエル人は平和を与える方を受け入れず、十字架につけてしまいました。
今でも、人々はあまり変わっていません。
どれほど私たちは、恐れと痛みと戦っているでしょうか。どれほど私たちは、平和を望んでいるでしょうか。それにもかかわらず、私たちは平和を与える方を拒絶します。私たちは、自分の心の王座をイエス様に捧げることを拒否するのです。
ある日、イエス様は再びこの世に戻られます。その日、イエス様はこの世を治め、すべての人々が平安のうちに住むようになります。
しかし、もし私たちが今、自分の心の王座をイエス様に捧げるなら、どんなトラブルがあったとしても平和を得ることができます。たとえ周りに多くの苦しみがあったとしても、私たちの魂は平安を保つのです。
2000年前、イエス様がエルサレムのために泣かれたように、イエス様は私たちのために涙を流されます。イエス様はこう言われました。
ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(ルカ13:34)
それで、エルサレムはどうなりましたか。
見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。(ルカ13:35)
今でも、その結果は変わりません。もしイエス様に背を向けるなら、私たちの人生は荒れ果てたままとなり、希望や平和を全く知らないままとなってしまいます。
あなたはどうでしょうか。希望がないと感じていますか。人生に意味がないと感じていますか。平和がないと感じていますか。その解決は、2000年が経っても変わることはありません。それはイエス様です。
イエス様はあなたを抱きしめ、あなたに平和と希望、そして人生の本当の意味を与えたいと願っておられます。
あなたの人生をイエス様に捧げてみませんか。
