あなたの栄光はどこから来るのでしょうか。あなたの賞賛はどこから来るのでしょうか。何について自慢するのでしょうか。
ツロ人は自分の商売について自慢しました。
ツロは港町で、彼らの商売はうまく行っていました。彼らは金持ちでしたし、何をしても成功しました。
でも、彼らは不敬虔な人でした。彼らはいろんな神々を礼拝しました。私たちの社会のように、彼らはお金の「神」も礼拝しました。
彼らはプライドがあって、自分の栄光を自慢しました。でも神様は彼らに警告されました。
「裁きが来ます。ある日、ツロは倒されます。また、あなたの評判と富は取り去られます。」
イザヤはこう言いました。
海辺の住民よ。タルシシュへ渡り、泣きわめけ。
これが、あなたがたのおごった町なのか。その起こりは古く、その足を遠くに運んで移住したものを。
だれが、王冠をいただくツロに対してこれを計ったのか。その商人は君主たち、そのあきゅうどは世界で最も尊ばれていたのに。
万軍の主がそれを計り、すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられた。(イザヤ書23:6-9)
神様はツロが後で復活すると言われましたが、これも言われました。
その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。(18)
つまり、ツロのプライドと栄光は自分のためではなくて、主とその民のためです。
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。持続的な栄光は一つの所から来ます。
その栄光はお金や、評判や、他の世のものから来ません。なぜなら、 それらのものはただ一時的なものです。持続的な栄光はただ神様から来ます。
そして、その栄光は私たちが自分のイメージを好きなように形成することから来るものではありません。
むしろ、私たちが神様に近づくと、私たちは主の栄光を反映します。
パウロはこう書きました。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(第二コリント3:18)
「栄光から栄光へと。」
その言葉が好きです。私たちが神様に近づけば近づくほど、私たちは神様の栄光を反映します。
つまり、私たちの罪深い性格は神様の性格のように変えられます。そして、いつか、私たちの不完全な体はイエス様の素晴らしい体のように変えられます。
だから、私たちは何を自慢するでしょうか。エレミヤはその答えを私たちに与えます。
主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。
わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。――主の御告げ―― (エレミヤ書9:23ー24)
あなたはどうですか。あなたの栄光はどこから来るのでしょうか。あなたは何について自慢するのでしょうか。
