時々、神様に信頼することは難しいです。
多くの場合、私たちが祈る時、私たちは神様の御心を求めずに、神様を私たちの意志に従わせようとします。
「あなたに信頼します。あなたの御心が行われるように」と祈らずに、神様に何かをさせようとします。
だから、私たちが望んだように、神様がその祈りに答えてくださらないと、私たちは怒ります。
また、「神様は私を本当に愛してくださっているだろうか」と訊きます。
でもイザヤはこう言いました。
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。(イザヤ書26:3-4)
「志の堅固な者。」
それはどういう意味でしょうか。
と言うのは、変化の風が吹くと、また試練が行ったり来たりすると、私たちの信仰は決して揺れません。私たちは神様に信頼し続けます。私たちは神様に頼り続けます。神様は私たちが自分の人生を立てる岩です。
そうすると、私たちは全き平安のうちに守られます。
ヘブル語では、「平安」、「平安」のうちに守られます、と書いてあります。
なぜ「平安」という言葉を繰り返すでしょうか。その平安は浅くないからです。弱くないからです。試練が来ても、その平安はすぐに吹き飛ばされないからです。
むしろ、その平安は私たちの心に根強くあるものです。何が起こっても、その平安は私たちの心を満たします。
イザヤは続きます
義人の道は平らです。あなたは義人の道筋をならして平らにされます。(7)
つまり、私たちが神様に信頼すると、神様は私たちを導いて守ってくださいます。
箴言3:6でこう書いてあります。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
でもプライドによって、自分の道を行く人に対して、イザヤはこう言います。
主は高い所、そびえ立つ都に住む者を引き倒し、これを下して地に倒し、これを投げつけて、ちりにされる。(5)
イスラエルはずっとそのように生きました。
神様は彼らに恵みを与えられたのに、彼らは罪の道を生き続けました。そして、神様は彼らを苦しめられたので、彼らは神様に叫びました。彼らが悔い改めたら、神様は彼らを赦されました。
でも、もし私たちが最初から神様に信頼して従うと、どれくらい私たちの人生がうまくいくでしょうか。
だから、今神様に従いましょう。全てよりも神様を求めましょう。イザヤが言ったように、私たちも言いましょう。
主よ。まことにあなたのさばきの道で、私たちはあなたを待ち望み、私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。
私のたましいは、夜あなたを慕います。まことに、私の内なる霊はあなたを切に求めます。(8-9)
