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イザヤ書

神様が愛する民

イザヤ書27章

「神様は私を本当に愛してくださるだろうか。」

時々、私たちは自分の状況を見て、そう思います。特に、苦しい時に私たちは神様の愛を疑います。

また、私たちは自分の人生をめちゃくちゃにして、「神様は私をもう諦めてしまわれたのだろうか」と思います。

イスラエルはそう思ったかもしれません。けれども、神様は彼らにこう言われました。

その日、麗しいぶどう畑、これについて歌え。

わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。

わたしはもう怒らない。もしも、いばらとおどろが、わたしと戦えば、わたしはそれを踏みつぶし、それをみな焼き払う。

しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい。

時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。(イザヤ書27:2-6)

この箇所では、神様はイスラエルを神様が世話するぶどう畑と比べられました。その言葉はイスラエルのためですが、神様は私たちクリスチャンたちにも話されます。

「私はあなたを見守ります。」

私の目はいつもあなたに留まっています。あなたの人生に何が起こっているかよく知っています。私が気づかないことはありません。全ての微笑み、すべての涙を見守ります。

「あなたに水を注ぎます。」

あなたが枯れている時に、私はあなたを潤します。のどが乾いたら、あなたの渇きを癒します。

「私はあなたを守ります。」

あなたの敵が来ると、私はあなたの盾になります。あなたが恐れたら、私はあなたの砦となります。

「私はあなたのために戦います。」

敵の力によってあなたが圧倒されると、私はあなたのために戦い、あなたは勝利を得ます。

「私の力によって、あなたは実を結びます。」

あなたの人生は咲いて、あなたの人生によって、この世界は祝福されます。

あなたは神様の言葉を聞くと、こう尋ねるかもしれません。「でも、私が罪を犯すと?神様は私を拒絶されるでしょうか。」

それでも、神様はあなたを捨てられません。

イザヤはこう記しました。

主は、イスラエルを打った者を打つように、イスラエルを打たれただろうか。あるいは、イスラエルを殺した者を殺すように、イスラエルを殺されただろうか。

あなたは彼らを追い立て、追い出し、彼らと争い、東風の日、激しい風で彼らを追放された。(7-8)

あなたが罪を犯して、神様に背くと、神様はあなたを懲らしめられます。

しかし、神様はイスラエル人を捨てられませんでしたし、あなたをも捨てられません。あなたが悔い改めると、神様はあなたを赦し、癒してくださいます。

神様はイスラエルにこう言われました。

その日、主はユーフラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。

イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。

その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリヤの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。(12-13)

私たちに対する神様の怒りはいつまでも続きません。イエス様にあなたの救いのために信頼すると、私たちの罪のために滅びることはありません。(ヨハネ3:16)

神様は私たちが神様に戻ることを待っておられます。私たちが悔い改めたら、神様は私たちを癒して、もう一度実を結ぶぶどう畑にしてくださいます。

ダビデが書いたように、

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。

夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(詩編30:5)

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