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イザヤ書

安心。。。じゃない

イザヤ書32:9-20

安心。

多くの人々は安心を求めています。彼らは心から安心したいと願っています。特に自分の将来において、安定を求めています。

そのため、多くの人々がお金を求めています。お金さえあれば安心できると思うからです。

1980年代、日本の経済は本当に順調でした。その結果、多くの日本人が経済的に繁栄していました。

けれども、結局バブルは崩壊し、その安心も消えてしまいました。1991年から2003年の間に、日本の自殺率は約70%も上昇しました。現在でも、日本の自殺率は依然としてかなり高いままです。

イザヤの時代、イスラエル人は1980年代の日本人のようでした。彼らは繁栄し、安心していました。ところが、日本人と同じように、その繁栄と安心は突然失われました。

そんな中、イザヤは彼らに次のように言いました。

のんきな女たちよ。立ち上がって、わたしの声を聞け。うぬぼれている娘たちよ。わたしの言うことに耳を傾けよ。うぬぼれている女たちよ。

一年と少しの日がたつと、あなたがたはわななく。ぶどうの収穫がなくなり、その取り入れもできなくなるからだ。

のんきな女たちよ。おののけ。うぬぼれている女たちよ。わななけ。着物を脱ぎ、裸になり、腰に荒布をまとえ。(イザヤ書32:9-11)

あなたは何に安心を感じますか。お金でしょうか。

お金は安心を買うことはできません。

むしろ、多くの人々はお金によってさまざまなトラブルを抱えてしまいます。

例えば、働きすぎることで結婚生活が弱くなり、最終的に離婚に至ることがあります。そして、離婚によって子供との関係も壊れてしまうのです。

また、他の人々は働きすぎて、自分が貯めたお金を楽しむことすらできません。現在でも、日本政府の報告によれば、過労死により毎年約200人が亡くなっています。

他の人々はお金を愛し、自分の経済のことを絶えず心配しています。どうやってそのお金を持ち続けるか、常に不安に感じています。

しかし、神様だけにあって、本当の安全を見つけることができます。

イザヤがイスラエル人に言ったのは、「あなたが信頼しているものは、あなたから取り除かれる」ということです。

けれども、そのあとで、イザヤは次のように言いました。

しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。(15)

私たちが聖霊によって満たされるなら、私たちは霊の実を結ぶことができます。例えば、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、そして自制を結びます。(ガラテヤ5:22-23)

これらの実を結ぶことで、私たちは真の安心を見出すことができるのです。

そして、イザヤは次のように書きました。

義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(17)

あなたは安心を求めているでしょうか。お金やこの世のものによって安心を見つけることはできません。一時的な安心を見つけることができても、それはすぐに消えてしまいます。

むしろ、神様に信頼しましょう。聖霊があなたの人生を満たしてくださるように祈りましょう。そうすれば、

人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:7)

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