「私にはもう遅すぎるでしょう。」
ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』がダース・ベイダーの贖いについての物語だと語っています。つまり、ベイダーは悪によって腐敗しましたが、息子の愛によって救われたのです。
『ジェダイの帰還』で、ルーク・スカイウォーカーは父ベイダーにこう願いました。
「あなたの憎しみを捨ててください。皇帝を拒絶して、私と一緒に逃げましょう。」
けれども、ベイダーは悲しく答えました。「私にはもう遅すぎるのです。私は主人に従わなければなりません。」
その後、皇帝はルークを殺そうとしました。ルークはベイダーの助けをもう一度求めました。
ベイダーはその光景を見て心を悩ませましたが、最終的に皇帝を攻撃して倒したのです。こうして、彼はルークだけでなく、自分自身も救ったのです。
この箇所の話も似たような内容です。
マナセはヒゼキヤ王の息子でした。ヒゼキヤは本当に良い王でしたが、マナセは別の道を歩みました。
彼は偶像を礼拝し始め、偶像とその祭壇を主の宮に築きました。さらに霊媒や口寄せに相談し、占いも行いました。
それだけではなく、彼は自分の息子を火の中に通しました。列王記によると、
罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった。(列王記第二21:16)
何度も預言者たちはマナセに警告しましたが、マナセは全く耳を貸しませんでした。むしろ、彼はその預言者たちを殺してしまいました。
ユダヤ人の伝承によれば、マナセが預言者イザヤを殺害したとされています。へブル人への手紙11章37節にある「[他の人たちは]のこぎりで引かれ[た]」という表現は、イザヤを指している可能性があります。
そのため、神様はこう言われました。
見よ。わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、二つの耳が鳴るであろう。
わたしは、サマリヤに使った測りなわと、アハブの家に使ったおもりとをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう。
わたしは、わたしのものである民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。
彼らはそのすべての敵のえじきとなり、奪い取られる。
それは、彼らの先祖がエジプトを出た日から今日まで、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの怒りを引き起こしたからである。(列王記第二21:12-15)
そして、アッシリヤ人たちはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないでバビロンへ引いて行きました。
列王記ではそれ以上の記録はありませんが、歴代誌の記述はもう少し続きます。
バビロンで、マナセはへりくだり、悔い改め、神様を求め始めました。そこで、神様はマナセを赦してくださいました。
そして、マナセはエルサレムに戻り、再びユダの王として立つことができました。
彼は偶像とその祭壇を取り除き、主の祭壇をもう一度築き、その上で和解のいけにえと感謝のいけにえをささげました。
マナセは数々の悪事を行っていました。ユダの王の中でも、彼は本当に酷い王でした。それでもマナセが悔い改めるのは遅すぎることはありませんでした。
神様はマナセのように人々を裁かれますが、多くの場合、神様は長く待った後で裁かれます。神様はマナセを何度も警告し、ついに裁かれたのです。
しかし、私たちが悔い改めると、神様はすぐに赦してくださいます。
悔い改めるのが遅すぎると思うでしょうか。失敗しすぎたから、神様がもうあなたを赦せないと思うでしょうか。
遅すぎることは決してありません。
悔い改めると、神様はあなたのために待つだけでなく、あなたのもとに走り、喜んで歓迎してくださいます。
