この箇所では、神様はご自身と他の国々の神々を比べ続けておられます。5節で、神様はこう言われました。
わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。(イザヤ書46:5)
なぜ神様はそんなことを言われたのでしょうか。それは、人々がその偶像を造ったとしても、その偶像は自分の力で動くことができないからです。人々は偶像を運ばなければなりません。
そして、一度置かれると、その偶像は自分の位置を全く変えることができません。
そのため、人々が偶像に助けを求めても、偶像は答えることも助けることもできません。もし偶像が自ら動く力を持っていないのなら、どうして人々を助けることができるのでしょうか。(7節)
だから、神様はもう一度言われます。
遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。(9)
神様は他の『神々』とどのように異なっておられるのでしょうか。
わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。。。
わたしが語ると、すぐそれを行ない、わたしが計ると、すぐそれをする。(10-11)
つまり、神様は将来をその御手の中に持っておられます。神様は何が起こるかをご存じであるだけでなく、ご自身のプランを持っておられ、そのプランを止められる者は誰もいません。
サタンであれ、人間であれ、誰も神様の計画を妨げることはできないのです。
神様は決して驚くことがなく、将来のことを知っておられ、さらに将来を形づくる力を持っておられます。
特に、神様は救いのプランを立て、そのプランについてこう言われました。
わたしに聞け。強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。
わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。
わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える。」(12-13)
神様は、私たちを救うためにご自身の子イエス・キリストをこの世に送られました。
サタンがイエス様と戦い、ユダヤ人たちもイエス様を拒絶しましたが、神様は彼らの行動さえもご自身の計画の中に取り入れられ、イエス様を通して私たちを救われました。
イエス様は十字架で死なれ、私たちの罪の代価を完全に支払われました。その結果、かつて神様の正義から遠ざかっていた私たちも、今は神様に近づく道が開かれました。
神様がそのようなことを成し遂げられるのなら、私たちは神様が私たちの将来もその御手の中に持っておられると確信できます。そして、何者も、その計画を妨げることはできません。
