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イザヤ書

自分自身を神とする

イザヤ書47章

昔、サタンがエデンで言った嘘を、今でも私たちに囁きます。それは、「あなたは神のようになる」というものです。

人類の歴史を振り返ると、人々は自分自身を神にしようとしてきました。つまり、自分の道を進み、心の王座を神様に捧げずに、自分自身がその王座に座るのです。

バビロンの支配者たちも同じことをしました。そのため、イザヤは彼らを責めました。

あなたは「いつまでも、私は女王でいよう』と考えて。。。

だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。

心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう」と言う者よ。。。

あなたは自分の悪に拠り頼み、「私を見る者はない」と言う。

あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。「私だけは特別だ。」(イザヤ書47:7、8、10)

バビロンの人々は、神様がご自身について言われた言葉を取り、それを自分自身に当てはめました。

日本語の翻訳では「私だけは特別だ」と書かれていますが、それは少し簡略化された翻訳です。

実際には、バビロンの人々が「私は特別だ」と言ったとき、それは神様の言葉を模倣していたのです。

つまり、

わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。(イザヤ書41:4)

また、

わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。(イザヤ書45:5)

また

わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。(イザヤ書46:9)

しかし、イザヤは彼らに警告されました。

「あなたたちは神ではない。あなたの罪のために裁きが来る。あなたの知恵と力は、神様の怒りからあなたを救うことはできない。」

それでも、どれほど私たちはバビロンの人々のように生きているでしょうか。

私たちは安全だと思い込み、安心してしまいます。自分の道を進み、それで大丈夫だと思い込みます。誰も私たちの罪を見ていないと考え、将来の裁きについて全く思いを巡らせません。

そのような生き方を続けるなら、バビロンの人々のように私たちは倒れるでしょう。私たちは神様の前で裸で恥ずかしい姿のまま立つことになります。

そして、この世の中で、経済問題や結婚生活の問題が生じ、私たちはどうしたら良いか分からなくなるでしょう。

だからこそ、プライドを捨て、心の王座を神様にお捧げしましょう。ただお一人の神様がおられます。そして、その神様は私たちではないのです。

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