昔、サタンがエデンで言った嘘を、今でも私たちに囁きます。それは、「あなたは神のようになる」というものです。
人類の歴史を振り返ると、人々は自分自身を神にしようとしてきました。つまり、自分の道を進み、心の王座を神様に捧げずに、自分自身がその王座に座るのです。
バビロンの支配者たちも同じことをしました。そのため、イザヤは彼らを責めました。
あなたは「いつまでも、私は女王でいよう』と考えて。。。
だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。
心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう」と言う者よ。。。
あなたは自分の悪に拠り頼み、「私を見る者はない」と言う。
あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。「私だけは特別だ。」(イザヤ書47:7、8、10)
バビロンの人々は、神様がご自身について言われた言葉を取り、それを自分自身に当てはめました。
日本語の翻訳では「私だけは特別だ」と書かれていますが、それは少し簡略化された翻訳です。
実際には、バビロンの人々が「私は特別だ」と言ったとき、それは神様の言葉を模倣していたのです。
つまり、
わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。(イザヤ書41:4)
また、
わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。(イザヤ書45:5)
また
わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。(イザヤ書46:9)
しかし、イザヤは彼らに警告されました。
「あなたたちは神ではない。あなたの罪のために裁きが来る。あなたの知恵と力は、神様の怒りからあなたを救うことはできない。」
それでも、どれほど私たちはバビロンの人々のように生きているでしょうか。
私たちは安全だと思い込み、安心してしまいます。自分の道を進み、それで大丈夫だと思い込みます。誰も私たちの罪を見ていないと考え、将来の裁きについて全く思いを巡らせません。
そのような生き方を続けるなら、バビロンの人々のように私たちは倒れるでしょう。私たちは神様の前で裸で恥ずかしい姿のまま立つことになります。
そして、この世の中で、経済問題や結婚生活の問題が生じ、私たちはどうしたら良いか分からなくなるでしょう。
だからこそ、プライドを捨て、心の王座を神様にお捧げしましょう。ただお一人の神様がおられます。そして、その神様は私たちではないのです。
