私たちはしばしば平和を探しますが、見つけることができず、「どうして」と問いかけます。
イスラエルの民も同じでした。けれども、17-18節で神様は彼らに答えられます。
あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。(イザヤ書48:17-18)
日本語の翻訳では「しあわせ」と書かれていますが、別の翻訳では「平和」と訳されています。
英語の翻訳では「平和」と表現されています。つまり、神様は平和の青写真を持っておられます。
それは当然のことだと思います。神様は人間を造られました。私たちをデザインされ、私たちの人生がどのように上手くいくかを完全にご存じです。
だからこそ、私たちが神様に従うなら、平和を見出し、私たちの人生は上手くいくのです。
しかし、多くの人々は神様とその言葉に従うと言いながらも、実際にはその言葉を無視して、自分の道を進みます。イスラエルの民もそのような人々でした。
それゆえ、神様はこう言われました。
これを聞け。ヤコブの家よ。あなたはイスラエルの名で呼ばれ、ユダの源から出て、主の御名によって誓い、イスラエルの神を呼び求めるが、誠実をもってせず、また正義をもってしない。
確かに彼らは聖なる都の名を名のり、イスラエルの神――その名は万軍の主――に寄りかかっている。(イザヤ書48:1-2)
イスラエルの民は、神様に従うと言っていました。神様の御名によって誓い、神様を呼び求めました。「あなたは私たちの神です」と告白していました。
けれども、彼らの態度や行動は、彼らの心の本当の姿を明らかにしていました。
だから、神様はこう言われました。
あなたがかたくなであり、首筋は鉄の腱、額は青銅だと知っている。。。
あなたは聞いたこともなく、知っていたこともない。ずっと前から、あなたの耳は開かれていなかった。
わたしは、あなたがきっと裏切ること、母の胎内にいる時からそむく者と呼ばれていることを、知っていたからだ。(4、8)
それは厳しい言葉です。けれども、神様は私たちについてこのように言われるでしょうか。私たちは神様とその御言葉に対して心を堅くしているでしょうか。神様の御言葉を拒絶しているでしょうか。
私たちはしばしば、「どうして私の人生はめちゃくちゃになっているのだろうか」と考えます。
「どうして私の結婚は上手くいかないのだろうか。どうして他の人間関係が上手くいかないのだろうか。どうして私のキャリアは上手くいかないのだろうか。」
しかし、私たちは神様の御言葉を読むと、それを無視します。そして、「従っても、私の問題は解決しない」と言い、「難しすぎる」とも言います。
そのため、私たちは自分の道を行き続けます。
その結果はどうなるでしょうか?
「悪者どもには平安がない」と主は仰せられる。(22)
私たちが神様に従うなら、私たちの人生はどれほど良くなるでしょうか。聖書の青写真に従うなら、私たちの人生はどれだけ豊かになるでしょうか。
あなたはどうでしょうか。平和がないと感じていますか。
自分の知恵に頼るのをやめ、堅い心を柔らかくしてください。神様の道を求めてみてください。そうすれば、あなたの魂には平和の川が流れ始めます。
あなたは、どのように応えるでしょうか。
