「私が何をしているか自分でよく分かっている。あなたの教えなんて必要ない。」
私たちはよくそのような態度を取りますが、結局行き詰まってしまいます。そしてその時、私たちはしばしば神様を責めます。
「なぜ、あなたは私を見捨てたのですか。」
イスラエルの民も同じようにしました。自分たちの罪の結果として困難に陥ったにもかかわらず、彼らは神様を責めたのです。
あなたがたの母親の離婚状は、どこにあるか。わたしが彼女を追い出したというのなら。あるいは、その債権者はだれなのか。わたしがあなたがたを売ったというのなら。
見よ。あなたがたは、自分の咎のために売られ、あなたがたのそむきの罪のために、あなたがたの母親は追い出されたのだ。
なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。(イザヤ書50:1-2)
イスラエルの民はこう文句を言いました。「あなたは私たちの母であるエルサレムを離婚し、私たちというその子供たちを見捨てた。」
しかし、神様は答えられました。
「離婚状はどこにあるのでしょうか。私は誰にあなたたちを売ったでしょうか。私は何もしていません。
あなたたちの罪のせいで、あなたたちは自分自身を奴隷として売り渡したのです。
私はあなたたちを見捨ててはいません。私は家に帰って来たが、去ったのはあなたたちです。不実であったのは私ではなく、あなたたちです。」
そして、神様は不実なイスラエルと来るべきメシアを対比されます。天の父はイエス様に「弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教えられた」のです。
さらに、イエス様は毎日天の父の言葉に耳を傾けておられました。イエス様は天の父に決して反抗せず、その御心に従うために苦しみを耐え忍ばれました。
そのため、天の父は常にイエス様を助け、いつもイエス様と共におられました。(4-7)
そして、神様はこう言われました。
あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。
暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。
見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。
このことはわたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。(10-11)
神様は何を言われているでしょうか。
もし、あなたが暗闇に迷い、つまずいているのなら、神様に信頼を置いてください。そして、神様とその知恵に頼り続けてください。
そうすることで、暗闇を抜け出し、光の中に入ることができます。神様の赦しを知り、そしてイエス様のように、あなたもこう言うでしょう。
私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。
どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。見よ。神である主が、私を助ける。だれが私を罪に定めるのか。(8-9)
パウロは同じような言葉を書きました。
神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ8:33-34)
しかし、もしあなたが自分自身の「光」に頼り続けて歩むなら、最終的に苦しみを味わうことになるでしょう。
どれほど私たちは自分の知恵に頼って生き、自分の人生を自ら台無しにしているのでしょうか。私たちが神様に耳を傾けないことで、結婚生活や経済が混乱し、破綻してしまいます。
そして、それにもかかわらず、私たちは神様を責めるのです。
もし私たちが神様に従い、その道を歩むなら、私たちの人生はどれほど豊かで平安に満ちたものになるでしょうか。
あなた自身はどうでしょうか。神様の光に導かれて歩んでいますか。それとも、自分自身の光に頼って歩んでいるのでしょうか。
