私の父は、2011年に亡くなりました。その最後の週、私の家族は父のベッドの隣で見守っていました。
実は、私の心はその日のために約10年間準備していました。なぜなら、父の心臓は弱かったからです。それに、彼は糖尿病を患っており、他にもいくつか健康上の問題がありました。父がこれほど長く生きてくれたことは、私にとって驚きでもありました。
幸いなことに、父が亡くなったとき私はハワイにいました。私はずっと日本に住んでいるので、いつも心配していたのは、ある日突然、姉から「父が亡くなったよ」と電話で知らせを受けることでした。
けれども、神様のタイミングと御心によって、父が亡くなったとき、私はハワイにいることができました。
それはもちろん辛い出来事でしたが、それでもやはり、私はハワイにいられて本当に良かったと思います。
時々、人々は「どうして私たちは死ななければならないのだろうか」と尋ねます。
この箇所で、神様はその答えを私たちに示してくださいます。
義人が滅びても心に留める者はなく、誠実な人が取り去られても、心を向ける者もいない。
まことに、義人はわざわいから取り去られて、平安に入り、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。(イザヤ書57:1-2)
この世界は死にかけています。この世界は罪によって堕落してしまいました。そのため、私たちは地震や他の天災を目にするだけでなく、罪に堕ちた人々の姿も目の当たりにしています。このように、この世の人々は壊れてしまいました。
そのような状態で、あなたはいつまでも生き続けたいと思うでしょうか。私はそう思いません。
私の父は、悪い健康状態に苦しんでいました。そのため、私は父がそのままの状態で長く生き続けることを望みませんでした。しかし、神様が父を御許に迎えてくださったことに、私は感謝しています。
もちろん、私は寂しい気持ちがあります。それでも今、父はもっと良い場所にいます。壊れて死にかけていた父の体は新しくされます。
さらに、父には今、平和があります。父は安らかに休んでいます。そして、父はイエス様の顔を見ているのです。そのことを考えると、私は少しうらやましい気持ちさえ抱きます。
私の言葉を誤解しないでください。すぐにこの世を離れたいと思っているわけではありません。天国に行ったら、私が喜んで手放すものがたくさんあります。苦しみ。痛み。罪。
そして、神様のタイミングが来たら、私は喜んで天国に行きます。
私が亡くなる時、私の墓石にこの言葉を書いてほしいです。
「ブルースのために泣かないでください。ブルースはこのお墓にいないから。」
イエス様の十字架の働きを信じる人々にとっては、死は本当にとげがないです。(第一コリント15:55)
あなたはどうですか。死のために準備しているでしょうか。
