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イザヤ書

希望のないものをすがる

イザヤ書57:3-13

ある日、私の友人がこう訊きました。「どうしてサタンは戦い続けているのでしょうか。彼はすでに負けたと分かっているはずなのに。なぜ諦めないのでしょうか。」

また、他の人々はこう尋ねます。「どうしてサタンは悔い改めないのでしょうか。彼は悔い改めることができるのでしょうか。」

これは興味深い質問ですが、正直に言えば、私にはその答えが分かりません。

私の考えとしては、サタンは悔い改めることが理論的には可能かもしれませんが、決してそうしないと思います。彼は長い間神様に反抗し続け、その結果、彼の心が固くなりすぎているのだと感じます。

とはいえ、これはサタンだけの問題ではありません。人間もまた、そのような態度を取ることがあります。この箇所では、私たちはそのような態度を見ることができます。

イスラエルの民は神様に背を向けたため、追放されました。(実際にはそれは預言ですが、イザヤはまるでイスラエルの民がすでに追放されたかのように語っています。)

彼らは長い間、偶像を礼拝し続けましたが、その礼拝の虚しさを目の当たりにしても、悔い改めることを拒みました。

イザヤはイスラエルの民について、こう言いました。

あなたは、長い旅に疲れても、「あきらめた」とは言わなかった。あなたは元気を回復し、弱らなかった。

あなたは、だれにおじけ、だれを恐れて、まやかしを言うのか。あなたはわたしを思い出さず、心にも留めなかった。

わたしが久しく、黙っていたので、わたしを恐れないのではないか。(イザヤ書57:10-11)

10節はイザヤ書40:29-31に少し似ています。けれども、イザヤは40章の言葉を少し変えています。

40章では、神様はこう言われました。

主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40:31)

この箇所では、残念なことに、イスラエルの民は自分の罪によって疲れ果て、希望のない状況を目の当たりにしても、「諦めた」とは言いませんでした。

それどころか、彼らは自分の罪にしがみつき、それによって元気を回復しようとしました。しかし、最終的に彼らはその罪のために滅びてしまいました。

では、あなたはどうでしょうか。希望がないにもかかわらず、自分の道を歩み続けていますか。

どうか、あなたの心を頑なにせず、自分自身の道を捨てて、神様の道を歩んでください。あなたの道は死へと導きますが、神様の道は命へと導きます。

どの道を選びますか。

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