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イザヤ書

神様の前にへりくだっている?神様の前に低くさせられる?

イザヤ書66章

今日、やっとイザヤ書を読み通すのを完成しました。

この箇所では、神様は正しい者と悪者の区別を説明しておられます。

正しい者とはどのような人でしょうか。

神様はこう言われます。

わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。(イザヤ書66:2)

正しい者はへりくだっています。

その人はすべてのことを知らないことを認めます。その人は自分の罪と弱さをよく知っています。そして、罪を犯すと、すぐに悔い改めます。

さらに、その人は神様の言葉を軽く考えず、その言葉におののきます。なぜなら、その言葉は命の言葉だからです。

悪者とはどのような人でしょうか。神様はこう言われます。

実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき物を喜ぶ。。。

わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」(3-4)

悪者は神様の言葉を侮ります。彼らはその言葉がもう時代遅れだと思います。そのため、神様の言葉を無視し、罪を犯します。

それだけではなく、彼らは神様に従う者をからかいます。けれども、結局彼らは恥ずかしい思いをし、その罪の結果を受けます。(5、6)

その一方、正しい者は喜びます。彼らは神様からの平和と慰めと満足と祝福を知っています。(10-14)

そして、神様は追放から戻ったイスラエル人についてこう言われました。

[彼らを]諸国に遣わす。。。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。

彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として。。。わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。。。

わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし「ます」。(19~21)

そのように、私たちクリスチャンは神様の栄光を国々に伝えるべきです。私たちは人々を神様に導くべきです。そうすれば、私たちが触れた人々も神様の祭司としもべになります。

しかし、もう一つのことを覚えていなくてはなりません。裁きの日に、天と地が新しくなり、皆は神様の前に平伏します。(23)

その日、あなたは、へりくだって神様の前に来るでしょうか。それとも、神様の前に低くさせられるのでしょうか。へりくだって、悔い改めた心のある人々に、神様は赦しといつまでも続く名前を与えてくださいます。

けれども、神様に背いた人々は低くされます。イザヤは彼らについてこう言われました。

そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。(24)

だから、その日が来る前に神様の前にへりくだりましょう。そうすれば、あわれみを知ることができます。そうすれば、永遠の命を知ることができます。

他の方法はないのです。

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