このブログの英語版を書いているとき、私はこう思いました。
「いつになれば列王記第二と歴代誌第二を読み終えることができるのだろうか。少ししか残っていないけれど、この預言書が邪魔に感じるなぁ。」
おそらく、イスラエル人もそのように感じていたでしょう。
彼らは罪深い生活を続けたいと思っていましたが、預言者たちはその生活を妨げました。だから、イスラエル人は預言者たちが黙ることを望んでいたのです。
けれども、イスラエル人がナホム書を読んだとき、多分慰めを感じたことでしょう。実は、ナホムという名前は「慰め」を意味しています。
ナホム書では、ナホムはイスラエルの敵であるアッシリヤの崩壊を預言しています。具体的には、アッシリヤの首都ニネベの滅亡を預言しているのです。
ヨナ書では、神様がニネベ人たちを彼らの罪のために裁こうとされましたが、彼らはへりくだり、悔い改めました。だから、神様は彼らに憐れみを与えられたのです。
しかし、その後すぐに彼らは再び罪に戻ってしまい、神様は再び彼らを裁こうとされました。今回は、彼らが悔い改めなかったため、裁きが実行されたのです。
この預言書がいつ書かれたのかは誰も知りません。おそらくマナセ王の時代(列王記第二21章)とヨシヤ王の時代(列王記第二22章)の間に書かれたのでしょう。
とにかく、ナホム書の冒頭では、私たちは「怒りの神」を目にします。(もしあなたがそれに違和感を覚えるなら、ここをご覧ください)。
ナホムはこう書きました。
主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。(ナホム書1:2)
怒りの神ですよね。けれども、第3節にはこうあります:「主は怒るのに遅い神です。」
そのため、ニネベの人々が悔い改めたとき、神様は彼らに憐れみを与えられました。そして、彼らが再び罪を犯し始めたとき、神様は彼らに悔い改める時間を与えられました。
もしナホムがマナセ王の時代にこの書を書いたとしたら、神様はおよそ50年間待たれたことでしょう。
もしヨシヤ王の時代に書いたのだとしたら、神様は約30年間待たれたのではないかと思われます。
けれども、彼らは悔い改めませんでした。だから、神様は彼らに警告を発せられたのです。
主は決して罰せずにおくことはしない方。(1:3)
ナホム書1:2-3を読めば、大体ナホム書のメッセージが分かります。
神様に信頼して従う人にとっては、
主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。(1:7)
でも、ニネベに関して、ナホムはこう言いました。
しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、その場所を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる。(1:8)
また、
王妃は捕らえられて連れ去られ、そのはしためは鳩のような声で嘆き、胸を打って悲しむ。ニネベは水の流れ出る池のようだ。
みな逃げ出して、「止まれ、立ち止まれ」と言っても、だれも振り返りもしない。
銀を奪え。金も奪え。その財宝は限りない。あらゆる尊い品々が豊富だ。
破壊、滅亡、荒廃。心はしなえ、ひざは震え、すべての腰はわななき、だれの顔も青ざめる。(2:7-10)
なぜでしょうか。3章では、ナホムは説明します。
ああ。流血の町。虚偽に満ち、略奪を事とし、強奪をやめない。
むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。
おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。死体に人はつまずく。
これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行なう女の多くの淫行によるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った。(3:1-4)
ニネベの人々は何年も周囲の国々を攻撃し、人々を殺し、その財産を奪いました。
なぜでしょうか。それは、彼らが力と富を愛していたからです。また、彼らは偽りの神々を礼拝し、その偶像崇拝を他の国々に広めました。
だからこそ、神様はこう宣言されました。
見よ。わたしはあなたに立ち向かう。。。わたしはあなたに汚物をかけ、あなたをはずかしめ、あなたを見せものとする。
あなたを見る者はみな、あなたから逃げて言う。「ニネベは滅びた」と。
だれが彼女を慰めよう。あなたのために悔やむ者を、どこにわたしは捜そうか。(3:5-7)
彼らの残虐行為があまりにも多かったため、誰一人としてニネベを悼む者はいませんでした。
最後に、ナホムはこう書きました。
あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。
あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。(3:19)
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
それは、裁きが確実に訪れるということです。神様は忍耐強く、憐れみ深いお方です。神様は、おそらく私たちよりも長く人々の悔い改めを待っておられることでしょう。それは、神様が人々の滅びを喜ばれないからです。
しかし、いずれの日か、神様の忍耐にも終わりが来て、裁きが訪れるのです。
ニネベの人々の上に裁きが下されたように、私たちの上にも裁きが訪れます。
ヘブル人への手紙の著者はこう書きました。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。。。(へブル9:27)
あなたは準備ができているでしょうか。
