この箇所を読むと、私たちはユダ人の霊的な問題がどれほど深いかが分かります。なぜなら、祭司たちは神様の言葉がどこにあるか全く分からなかったからです。
どうして祭司たちが神様の言葉を失うことができたのか、私には全く理解できません。
彼らが神様の言葉を全く読んでいなかったのなら、どのようにしてユダ人に神様の言葉を教えることができたのでしょうか。
彼らはその父たちの教えを覚えていたかもしれません。けれども、ヒゼキヤ王が亡くなった後、その後の二人の王たちは偶像を礼拝したため、神様の宮は長い間放置されていました。
そのため、祭司たちが覚えていたことがどれほど正確だったのかは分かりません。
結果はどうなったのでしょうか。
おそらくイスラエルの士師の時代と同じように、ユダ人は「それぞれ自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(士師記21:25)
しかし、彼らの基準は神様の基準とは異なっていました。
ヨシヤ王はその事実をすぐに理解するようになりました。
祭司たちが神様の宮を修理している最中に、誰かが神様の律法の書を見つけました。大祭司はその書物をヨシヤの書記であるシャファンに渡しました。ところが、シャファンがその書物の重要性を本当に理解していたかどうかは分かりません。
シャファンはヨシヤのもとに行き、次のように報告しました。
「あなたが命じた通りに、主の宮の修理が進められています。その修理のためのお金も適切に使われています。。。
あ、それから、大祭司が一つの書物を私に渡してくれました。」(列王記第二22:9-10)
シャファンはその書物の重要性を理解していなかったかもしれませんが、ヨシヤはすぐにその意義を理解しました。
シャファンがその律法の書をヨシヤの前で読み上げると、ヨシヤは自分の衣を裂き、こう言いました。
行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。
私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行なわなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。(列王記第二22:13)
女預言者フルダからのメッセージは決して良いものではありませんでした。
イスラエルの神、主は、こう仰せられます。
『あなたがたをわたしのもとに遣わした人に告げよ。主はこう仰せられる。
見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。
ユダの王が読み上げた書物のすべてのことばを成就する。
彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。
わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることがない。(列王記第二22:15-17)
けれども、彼女は続けてこう言いました。
あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。――主の御告げです――
それゆえ、見よ、わたしは、あなたを先祖たちのもとに集めよう。あなたは安らかに自分の墓に集められる。
それで、あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらすすべてのわざわいを見ることがない。(列王記第二22:19-20)
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。聖書を読まなければ、私たちの人生は混乱してしまいます。
また、神様の言葉を読まなければ、私たちは神様を喜ばせることができません。
時々、牧師たちが説教するとき、彼らは多くを語り、自分の意見を述べますが、ほとんど聖書に触れません。
彼らは30~40分ほど話し、ようやく「では、聖書を読みましょう」となります。
けれども、5分後には聖書を閉じ、それ以上聖書には触れないのです。
私はそのようなメッセージがあまり好きではありません。
彼らは良いことを語るかもしれません。私たちは良い助言を受けることがあるかもしれません。けれども、それは神様の言葉ではなく、単に牧師たちの意見に過ぎないのです。
また、ある人々は教会で非常に良い聖書的なメッセージを聞くかもしれません。ところが、月曜日から土曜日まで全く聖書を読まなければ、彼らは霊的に飢えてしまいます。
聖書の上に埃が積もり、自分の知恵に頼んで生きるようになり、その結果、彼らの人生は混乱してしまうのです。
あなたはどうですか。あなたの教会では、聖書が失われていないでしょうか。あなたの家では、聖書が忘れ去られていないでしょうか。
もしそのような状態であるならば、あなたの宮、すなわちあなたの人生は混乱してしまうでしょう。
なぜなら、神様の知恵によって生きるのではなく、自分の知恵に頼って生きることになるからです。
ヨシヤのように、私たちの心をへりくだらせ、神様の言葉を受け入れる者となりましょう。
そして、毎日、神様の御言葉に従って生きていきましょう。
