私が子供の頃、キカイダーというスーパーヒーロー番組を見ていました。最近キカイダーの映画が上映されて、私は驚きました。(私はその映画を見る興味はありませんが。)
さて、キカイダーはいつも怪獣と戦い、最後に「電磁エンド!」と叫びながらその怪獣を倒していました。
その時、英語の字幕はいつも「The end」とだけ表示されていました。(どうして「電磁」を翻訳しなかったのでしょうね。)
では、なぜ私はこのちょっと可笑しい話について話しているのでしょうか。それは、この箇所で神様がイスラエル人に同じようなメッセージを語られたからです。
「電磁エンド」とは言われませんでしたが、「終わりが来る」と語られました。
神様はこう言われました。
終わりが来る。その終わりが来る。あなたを起こしに、今、やって来る。この地に住む者よ。あなたの上に終局が来る。その時が来る。その日は近い。
しかし、山々での歓声の日ではなく、恐慌の日だ。今、わたしはただちに、憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする。
わたしはあなたの行ないにしたがって、あなたをさばき、あなたのすべての忌みきらうべきわざに報いをする。(エゼキエル書7:6-8)
つまり、「あなたの終わりが来る。あなたは何度も私に逆らった。けれども、裁きの日が来て、バビロン人が来て、あなたを滅ぼすだろう。」
この箇所を読むと、神様からの裁きについていくつかのことを学ぶことができます。
1つ目は、私たちが自分の罪によって裁かれるということです。
これまで、神様があなたを罰していないからといって、あなたは裁きが決して来ないと思うかもしれません。しかし、裁きの日には、神様は私たちの罪をすべて思い出し、私たちを罰されます。
2つ目は、神様の愛は裁きを止めるものではないということです。
神様はイスラエル人にこう言われました。
わたしはあなたを惜しまず、あわれまない。わたしがあなたの行ないに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。(4)
多くの人は尋ねます。「もし神様が愛の方であるなら、どうして神様は人を地獄に行かせるのでしょうか。」
確かに神様は愛の神ですが、同時に正義の神でもあります。神様は清いお方であるため、罪を罰さなければなりません。
さらに、神様は罪を全く耐えることができません。そのため、罪によって汚された人は神様と交わることができません。そしてその罪のゆえに、人は神様から離れなければなりません。
それが地獄です。地獄とは神様から離れた存在のことです。
神様から離れると、私たちには絶望しか残りません。神様は私たちがそのような状態になることを望んでおられませんが、それでも私たちが神様に背を向ければ、そのような人生以外に道はありません。
3つ目は、私たちがこの世でどれほど多くの物を集めても、裁きが来るということです。
私たちはお金や持ち物で自分の救いを買うことはできません。神様はイスラエル人についてこう言われました。
彼らは銀を道ばたに投げ捨て、彼らの金は汚物のようになる。
銀も金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出すことはできない。(19)
あなたが物を集めても、土地を買っても、お金を儲けても、裁きの日にはそれらすべてが無駄になります。
そして最後に、私たちは知っていることによって裁かれます。私たちが知らないことによっては裁かれません。神様はイスラエル人にこう言われました。
わたしが彼らの行いにしたがって彼らに報い、彼らのやり方にしたがって彼らをさばくとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(27)
彼らの行い、つまり、彼ら自身の基準によって、神様はイスラエル人を裁かれました。
どの国にも、その国独自の基準があります。すべての国には、自国の法律があり、またそれぞれの道徳法則があります。
時には、それらの法律や道徳法則が神様の律法と異なることもあります。とはいえ、私たちの道徳感覚が曇っていても、私たちの心は善悪をおおよそ理解しています。
それにもかかわらず、私たちはその曇った基準に従わないことがあります。だから、人々は自分自身の基準によって裁かれるのです。
裁きの日には、神様は私たちにこう言われます。「あなたにはまったく言い訳がありません。なぜなら、あなた自身の基準によってあなたは裁かれるからです。」
では、私たちにはもう何の希望もないのでしょうか。私たち全員が裁きを受ける運命にあるのでしょうか。
決してそんなことはありません。イエス様はこの世に来て、十字架で私たちの罰を引き受けてくださいました。
だから、もしあなたがイエス様とその働きに信頼を置くなら、あなたの罪は清められます。(第一ヨハネ1:7)
ですから、私たちの罪を捨て、イエス様に心を向けましょう。イエス様にあって私たちには希望があります。
しかし、イエス様との関係がなければ、希望はまったくありません。
