この箇所では、私たちは神様の忠実さをはっきりと見ることができます。つまり、もし神様が何かを語られるなら、私たちはその言葉を信じることができるのです。
この箇所では、神様はエルサレムの追放について話されています。具体的には、神様はユダの最後の王ゼデキヤの追放について語られました。
そのため、神様はエゼキエルにユダ人の前で小さな劇を演じるよう命じられました。
エゼキエルはゼデキヤの役を演じました。夕方、彼は家の壁に穴を開け、捕囚のための荷物を持ってその穴から出て行きました。そして歩きながら顔を覆いました。
その劇が意味することとは何でしょうか。
ゼデキヤは暗闇の中、エルサレムから逃げざるを得ませんでした。しかし、彼は捕らえられ、目を潰されてバビロンの王ネブカデネザルの前に連れて行かれることになる、ということです。
さらに、イスラエル人は諸国に散らされました。神様が語られた通りに、すべてそのように起こったのです。
どうして神様はエゼキエルとイスラエル人にそのメッセージを伝えられたのでしょうか。
それは、その預言が成就したときに、彼らが神様だけが主であることを知るためです。
イスラエル人にとって、その真理を受け入れることは簡単ではありませんでした。そして、神様が長い間忍耐を示されたため、彼らは次第に神様の裁きの警告を信じなくなっていました。
彼らはこう言いました。
日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。(エゼキエル書12:22)
エゼキエルの時代には、それはよく知られたことわざでした。イスラエル人は、エゼキエルやエレミヤの幻を嘘や妄想だと思っていました。
しかし、神様はイスラエル人にこう言われました。
それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。
かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する』と彼らに告げよ。
もう、むなしい幻も、へつらいの占いもことごとく、イスラエルの家からなくなるからだ。
それは、主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して延ばさないからだ。
反逆の家よ。あなたがたが生きているうちに、わたしは言ったことを成就する。――神である主の御告げ――」(23ー25)
神様の言葉は、いつでも私たちが信頼することのできるものです。
神様からの預言だけでなく、神様の約束も信じることができます。神様が何かを約束されたなら、その約束は必ず守られます。
では、神様はどのような約束を私たちに与えてくださったのでしょうか。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(へブル13:5)
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(第一ヨハネ1;9)
また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(ピリピ4:19)
それだけではなく、聖書には神様からの約束が数多く記されています。
ですから、私たちはその約束にすがり、信じ続けましょう。神様の言葉はいつでも私たちが頼ることのできるものだからです。
