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エゼキエル書

壊れやすいものに頼る?

エゼキエル書29-32章

少し皮肉なことですが、神様はイスラエルの民をエジプトでの奴隷生活から救い出されたにもかかわらず、バビロンがイスラエルを攻撃した際、イスラエルの民はエジプトの助けを求めました。

エルサレムが包囲されたとき、エジプトの軍勢はイスラエルを助けるためにバビロンと戦い、バビロンの包囲は一時的に停止しました。

けれども、すぐにバビロンはエジプトを打ち破った後、エルサレムに戻り、エルサレムはその後すぐに陥落しました。

この箇所では、神様がエジプトの没落を預言されたことが記されています。神様は、エジプトを川から引きずり出され、砂漠に取り残され死にかけている鰐にたとえられました。

では、エジプトはなぜ裁きを受けたのでしょうか。その理由は複数ありますが、そのうちの一つは、イスラエルが神様に向かわずにエジプトの助けを求めたことです。

そのため、神様はパロにこう言われました。

エジプトの住民はみな、わたしが主であることを知ろう。彼らが、イスラエルの家に対して、葦の杖にすぎなかったからだ。

彼らがあなたの手をつかむと、あなたは折れ、彼らのすべての肩を砕いた。彼らがあなたに寄りかかると、あなたは折れ、彼らのすべての腰をいためた。

それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは剣を送ってあなたを攻め、人も獣も、あなたのうちから断ち滅ぼす。エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる。。。

イスラエルの家は、これに助けを求めるとき、咎を思い起こして、もう、これを頼みとしなくなる。(エゼキエル書29:6-9、16)

エジプト人は自分たちが強大な力を持っていると信じていました。そして、パロの誇りによって、自らを神と見なすまでになりました。彼はこう言いました。

川は私のもの。私がこれを造った。(エゼキエル書29:9)

実は、彼の名前ホフラは、「強い腕を持つ者」という意味を持っています。

しかし、神様は彼にこう言われました

人の子よ。わたしはエジプトの王パロの腕を砕いた。

見よ。それは包まれず、手当をされず、ほうたいを当てて包まれず、元気になって剣を取ることもできない。

それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしはエジプトの王パロに立ち向かい、強いが砕かれている彼の腕を砕き、その手から剣を落とさせる。(エゼキエル書30:21-22)

エジプトは他の国々との同盟に頼り、自分たちの神々を信頼していました。しかし、神様は彼らにこう言われました。

エジプトをささえる者は倒れ、その力強い誇りは見下げられ。。。

神である主はこう仰せられる。わたしは偶像を打ちこわし、ノフから偽りの神々を取り除く。(30:6-13)

31章では、神様がバビロンにアッシリヤの没落を思い出させました。アッシリヤもまた、自分たちの力と美しさを誇り、数多くの同盟を結びました。それにもかかわらず、バビロンは彼らを打ち破りました。

そこで、神様はエジプトにこう言われました。「アッシリヤはあなたよりも優れた国でした。それでも彼らは倒れた。どうしてあなたが立ち続けることができると思えるのですか。」

続けて、32章では、神様がエジプトに警告を与えられました。

「多くの国々は自分のプライドに基づいて立ちましたが、結局彼らは地獄に行ってしまいました。あなたもその運命から逃れることはできません。」

ここから私たちは何を学べるでしょうか。

私たちは何に頼っているでしょうか。他の人々に頼っているでしょうか。それとも、自分自身の力に頼っているでしょうか。

この世の神々、つまり、お金、持ち物、権力に頼っているでしょうか。

これらのものは壊れやすいものです。人々はあなたを失望させるでしょう。あなた自身の力も最終的には消え去ります。お金や持ち物もいつかはなくなります。

そのすべてがなくなったとき、あなたは何に頼るのでしょうか。

頼るべきお方は、ただお一人。それはイエス様です。

この世のすべてのものは、最終的に崩れ去ります。しかし、イエス様だけは決して崩れません。

イエス様こそが、あなたの人生をその上に建てることのできる、決して揺るがない岩なのです。

イザヤはイエス様についてこう言いました。

見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。

これを信じる者は、あわてることがない。(イザヤ28:16)

あなたは誰に頼っているでしょうか。

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