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エゼキエル書

神様の目的のため、神様の栄光のため

エゼキエル書38-39章

この箇所では、エゼキエルが将来の戦いについて語ります。その時、いくつかの国々がイスラエルを打ち破ろうとして攻撃しますが、神様はその国々を滅ぼされます。

この箇所についてはさまざまな議論が交わされていますが、このブログではその議論には触れません。なぜなら、それは非常に複雑であり、私よりもはるかに賢い人たちが議論しているからです。😊

私が特に注目したいのは、なぜ神様がその戦いを許されるのかという点です。神様はその将来のリーダーたちにこう言われます

あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。。。

わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。(エゼキエル書38:16)

そして、その国々の裁きについて語った後、神様はその裁きの理由を説明されます。

わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。(38:23)

39章でも、そのテーマは続いています。

わたしは、わたしの聖なる名をわたしの民イスラエルの中に知らせ、二度とわたしの聖なる名を汚させない。

諸国の民は、わたしが主であり、イスラエルの聖なる者であることを知ろう。(エゼキエル書39:7)

そして、イスラエルの癒しについて語る際に、神様はこう言われます。

わたしが彼らを国々の民の間から帰らせ、彼らの敵の地から集め、多くの国々が見ている前で、彼らのうちにわたしの聖なることを示す。。。(39:27)

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

神様はご自身の目的を果たすために働いておられます。また、神様はご自身の栄光を現すために働いておられるのです。

そして、神様の御業の目的は、この世が神様を知ることにあります。つまり、神様は他の「神々」よりも優れたお方です。なぜなら、それらの「神々」は本当の神ではないからです。

そして、最後の日に、

イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられる。。。(ピリピ2:10-11)

神様はイスラエルの民を、ご自身の民とするために呼んでくださいました。しかし、アブラハムとその子孫が他の人々よりも優れていたわけではありません。

アブラハムとその子孫の話を読むと、彼らもまた罪人であったことがわかります。

それでも、神様の恵みによって彼らが呼ばれたのです。

神様はご自身の目的のために彼らを選ばれました。神様は彼らが罪を犯すことをすでに知っておられましたが、それでも彼らを通してご自身の栄光をこの世に現すことを計画されたのです。

神様はイスラエルの民を通してイエス様を送り、私たちを贖い、神様がどのような方であるかを示されました。

そして、終わりの日に、神様はイスラエルを守り、ご自身の民に聖霊を注ぎ、彼らの罪を赦されます。その御業を通して、神様はご自身の栄光と力、そして恵みをこの世に現されるのです。

その同じ理由で、神様は私たちクリスチャンを選ばれました。

私たちは他の人々よりも優れているわけではありません。また、私たちの目的や栄光のために選ばれたのでもありません。

むしろ、神様の恵みによって、そして神様の目的と栄光のために私たちは選ばれたのです。

この世が神様を知るために、神様は私たちを選んでくださいました。その神は、

あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者。。。(出エジプト34:6-7)

私たちは神様の目的と栄光のために生きましょう。

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