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エゼキエル書

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エゼキエル書40-43章

最近、私は出エジプト記25ー27章を読みました。

その箇所を「つまらない」と言いたくはありませんが、幕屋の作り方が非常に詳細に書かれているため、読んでいるうちに少し眠くなってしまいました。

このエゼキエル書の箇所は、その出エジプト記の箇所と非常に似ています。けれども、エゼキエルは幕屋についてではなく、将来の主の宮について語っています。

エゼキエルの時代、イスラエルの罪のゆえに、神様の聖霊はその宮を去られました。その結果、宮は間もなく倒れ、その栄光は失われてしまったのです。

しかし、その後、神様はエゼキエルに新しい宮に関する幻を見せられました。そして、神様はその宮の形を非常に具体的に説明されました。

43章では、エゼキエルは神様の栄光がその宮に戻る幻を見ました。

神様が東の方から宮を去られたように(10:18-19)、再び東の方から宮に戻り、その宮を神様の栄光で満たされたのです。

神様はエゼキエルにこう言われました。

人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。

イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。。。

今、彼らにその淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない。わたしは永遠に彼らの中に住もう。(エゼキエル書43:7-9)

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちは神様との関係を持つために造られました。そして、聖霊の宮となるために造られたのです。

けれども、私たちの罪のために、その宮を汚してしまい、私たちは神様から離れてしまいました。その結果、私たちの人生はめちゃくちゃになってしまったのです。

それでも、私たちが神様に立ち帰るなら、神様は私たちの中からそのごみを取り除き、私たちを新しくしてくださいます。

神様はご自身の霊を私たちに注ぎ、最初から計画されていたように、私たちは神様の宮となるのです。

そして、神様がイスラエルの民に語られたことを、私たちにも語っておられます。パウロはこう書きました。

私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。

そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(第二コリント6:16-18

また、

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(第一コリント6:19-20)

イエス様の血によって、私たちは清められ、新しくされました。

ですから、私たちの罪を捨て、私たちを救ってくださった神様と共に歩みましょう。

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