今日、私はエゼキエル書の最後の箇所を読みます。
この箇所では、神様がイスラエルの新しい遺産について語られています。それは、実に新たな遺産です。
神様はイスラエルの民を先祖の土地に連れていくことを約束されましたが、その時、遺産の形が変わります。つまり、土地の分割方法が変わるのです。
ヨシュアの時代、その土地は等しく分割されていませんでした。それぞれの部族の人口に応じて分割されたのです。(申命記26:52-54)
例えば、イッサカルとゼブルンは小さな遺産をもらいましたが、ユダとマナセは大きな遺産を受け取りました。けれども、新しい遺産は等しく分割されます。(エゼキエル書47:14)
さらに、古い遺産によって、ダン、マナセ、ガドの部族は他のイスラエルの民から離れ、神様が約束された土地からも離れ、ヨルダン川の向こうに住んでいました。
しかし、新しい遺産によって、すべての部族が神様の約束された土地に住むようになります。
最後に、外国人がイスラエルの民の中に住みたいと願うなら、彼らも遺産を受け取ることが許されます。
この箇所から、いくつかの重要な教訓を学ぶことができます。
一つ目は、神様の国では私たち全員が等しい遺産を受け取ることです。私たちの行動や国籍によって遺産を受け取るのではなく、その救いの遺産は神様の恵みによって与えられます。
そして、ユダヤ人も異邦人もその遺産を受け取ることができるのです。
パウロはこう記しました。
そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(コロサイ3:11)
二つ目の教訓は、神様の国において私たちは次善のものを相続することはないということです。
ヨシュアの時代、ダン、マナセ、そしてガドの部族は次善の土地を受け取りました。しかし、神様は私たちに次善のものではなく、最善のものを与えることを望んでおられるのです。
三つ目の教訓は、私たちの本当の遺産は天国ではなく、神様そのものだということです。
イスラエルの新しい遺産では、神様の地域は他の部族の地域の真ん中に置かれています。そして、神様は新しいエルサレムが「主はここにおられる」と呼ばれると言われました。
クリスチャンの生活の最大の喜びは、神様が私たちと共におられ、そして私たちの心の中に住んでおられることです。
ダビデはこう記しました。
主は、私へのゆずりの地所、また私へ[祝福」の杯です。(詩編16:5)
主よ、あなたが私の遺産であることに感謝します。あなたの恵みによって私を救ってくださったことを感謝します。
それだけでなく、あなたは私の心に住み、決して私を捨てないお方です。
あなたが私に次善ではなく、最善を与えようとしてくださることに感謝します。
どうか毎日私と共に歩んでください。そして私の神として導き続けてください。アーメン。
