2章、3章、8章では、ダニエルはバビロンの没落を預言していました。この箇所では、その預言が成就します。
メディヤ・ペルシャの軍隊によってバビロンは包囲されていましたが、ベルシャツァル王は盛大な宴会を開いていました。それはなぜでしょうか。彼らの防御が強固であり、敵軍が絶対に侵入できないと信じていたからです。
ところが、メディヤ・ペルシャの軍隊は、バビロンを流れるユーフラテス川の流れを変え、その川の門を通って侵入することができました。
その間、ベルシャツァルはその事実を全く知らずに、食べたり、飲んだり、自分の神々を賛美したりしていました。さらに、彼は自分のプライドから、自分の神々を賛美する際に、主の宮から持ち出された金の器を使用しました。
すると、突然、ベルシャツァルは驚くべき光景を目の当たりにしました。
すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。(ダニエル書5:5)
それを見たベルシャツァルは恐怖に駆られ、呪文師やカルデヤ人、星占いたちを召し出しました。けれども、彼らはその言葉の意味を理解することができませんでした。そのとき、ベルシャツァルの母が騒ぎを聞きつけ、彼にこう言いました。
おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。
あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。ネブカデネザル王、あなたの父上、王は、彼を呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長とされました。
王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。(10-12)
ダニエルが来ると、ベルシャツァルは彼に言いました。
今、もしあなたが、その文字を読み、その解き明かしを私に知らせることができたなら、あなたに紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせ、国の第三の権力を持たせよう。(16)
ダニエルはその提案を断りましたが、その文字の意味を説明しました。まず、ダニエルはネブカデネザルの話を語りました。神様がネブカデネザルを立てましたが、ネブカデネザルが神様の主権を認めるまで、神様は彼を低くされたのです。
そして、ダニエルはこう言いました。
その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。
あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。(22-23)
そして、ダニエルはその文字を説明しました。
『メネ』(つまり、数えられたという意味です)とは、神があなたの治世を数え、それを終わらせられたということです。
『テケル』(つまり、量られたという意味です)とは、あなたがはかりで量られ、目方の足りないことが判明したということです。
『パルシン』(つまり、分割されたという意味です)とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシャに与えられるということです。
その晩、ベルシャツァルの治世は終わりを迎えました。彼は自分の約束を守りましたが、ダニエルの新しい立場はわずか数時間しか続きませんでした。
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
ベルシャツァルの日と同様に、私たちの日も数えられています。私たちはほんの短い間、この世に住みます。
しかしその後、私たちの人生は量られるのです。私たちの行いに基づいて、神様が私たちを裁かれます。もし、私たちの目方が足りないなら、私たちはすべてを失います。
つまり、もしベルシャツァルのように、自分の心を神様の前に低くせず、神様に栄誉を帰さず、イエス様とその十字架の働きを拒絶した場合、あなたは永遠に裁きを受けることになります。
ヨハネはこう書きました。
神を信じない者は、神を偽り者とするのです。
神が御子についてあかしされたことを信じないからですそのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(第一ヨハネ5:10-12)
あなたは、もうクリスチャンになったでしょうか。神様は私たちの行動に基づいて裁かれます。ですから、私たちは自分自身のためにではなく、神様の御国のために生きるべきです。
ですから、パウロはこう言いました。
そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。
というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。(第一コリント3:10-15)
ですから、モーセのように祈りましょう。
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。。。
それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(詩編90:10,12)
