カテゴリー
ハガイ書

不潔と聖さの違い

ハガイ書2:10-19

ゼカリヤのメッセージの後、ハガイは次のメッセージを伝えました。そして彼は、不潔と聖さの違いを説明しました。

まず、この背景について説明します。モーセの律法によれば、祭壇が油で注がれると、それは聖なるものとされました。また、その祭壇に触れた物も聖なるものとされます。(出エジプト記29:37)

この箇所で、ハガイはこう問いかけました。「聖さは間接的に移すことができるでしょうか。」(ハガイ書1:10-12)

例えば、牛肉が祭壇に触れると、その肉は聖なるものとなります。しかし、その聖なる肉を持ち帰り、その肉が別の食べ物に触れたとしても、その触れられた食べ物が聖なるものになるでしょうか。それは違います。

つまり、聖さは間接的に移すことはできません。単に教会に入るだけで聖くなるわけではありません。敬虔な人と交わるだけでも、聖さが移ることはありません。

イスラエルの歴史においても、預言者たちの聖さがイスラエルの民に移ることはありませんでした。また、彼らが幕屋や宮に行っていけにえを捧げても、帰ると酷い罪を犯すことがありました。

一方、不潔は容易に移ります。例えば、死体に触れた者は汚れるとされました。そして、その汚れた者が触れた物も汚れてしまいます。(民数記19:11-22)

そして、神様はこう言われました。

わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。――主の御告げ――

彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている。(ハガイ書2:14)

どうして彼らは汚れたのでしょうか。それは、彼らの態度が悪かったからです。彼らは自分の心の王座から神様を追い出し、自分自身がその座につきました。

その態度が彼らの間に広がった結果、宮の再建を止めてしまいました。代わりに、自分の家と生活に集中してしまったのです。

こうして、主の宮は長い間、廃墟のままとなっていました。

その不潔な態度は、彼らのすべての行動に悪影響を及ぼしました。彼らの行動は神様の目には不潔なものと映りました。たとえ宗教的な行為をしても、それは神様の目には不潔なものでした。

だから、神様は彼らにこう警告されました。「あなたの人生をよく考えなさい。あなたの態度が悪く、私の宮を無視したため、あなたの人生はうまくいっていない。しかし今、あなたは悔い改め、態度を改めたので、

きょうから後、わたしは祝福しよう。(19)

私たちが学ぶべきことは、罪の種や不潔な種が私たちの心に根付かないようにすることです。もしそのような種が心に根付いてしまうと、イスラエルの民のように、その罪は私たちの人生全体に広がり、行動を汚してしまいます。

パウロはこう書きました。

あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。(第一コリント5:6-7)

主よ、どうか私の人生から罪というパン種を取り除いてください。私の心に罪が広がらないよう守ってください。その罪が、私があなたに仕えるミニストリーに影響を及ぼさないように。むしろ、私をあなたの聖さで満たしてください。

私たちのすべての行動が、あなたの目にかなうものとなりますように。アーメン。

コメントを残す