カテゴリー
エステル記

神様の心に従い、用いられているでしょうか

エステル記2章

私が読んだエステル記を解説する本によれば、エステル記について疑問を抱く人もいるそうです。

一つの理由は、エステル記で「神様」や「主」という言葉が全く出てこないということです。

どうしてでしょうか。もしかすると、この本がペルシャ人に対して、ユダヤ人がプリムの祭りをどのようにしてお祝いするかを説明するために書かれたのであり、ペルシャ人が宗教的な事柄に特に興味を持っていなかったからだと考えられます。

もう一つの理由は、神様はエステルの事情の中で全く働かれなかったという説明です。むしろ、ユダヤ人は神様を頼ることなく、自分たちの力と知恵によって行動しました。

そのような考え方は伝道者の書にも見ることができます。また、サウルやアブラハム、イサク、ヤコブも時々そのように生きました。

とはいえ、エステル記を読むと、私は神様が確かにその事情の中で働かれたと考えます。ただ、神様がエステルやモルデカイのすべての行動に同意されたかどうかは、私は断言できません。

2章を読む時、私はいろいろな疑問を持ちます。

例えば、エステルは自主的に「女王のコンテスト」に参加したのでしょうか。彼女には選択肢があったでしょうか。

それともモルデカイがエステルにそのコンテストに参加するように勧めたのでしょうか。もしそうなら、本当に悪い決断だったと思います。

なぜなら、神様はユダヤ人が偶像礼拝をしている人々と結婚することを禁止されているからです。このことはエズラ記やマラキ書に書かれています。

さらに、エステルは女王にならなくても家に帰ることができませんでした。むしろ、彼女が王と一夜を共にした時点で、彼女はその後王のそばめになりました。しかし、たぶん彼女はもう王と会うことはなかったでしょう。

もしエステルが自主的にそのコンテストに参加していたなら、神様の律法に基づけば、それは罪だったと言えるでしょう。

もしエステルが自主的に参加していなかったとしたら、どうしてモルデカイはエステルに自分の国籍を隠すように命じたのでしょうか。

その時代、ユダヤ人は迫害されていませんでした。エズラ4:6によると、ある人々がアハシュエロスに告訴状を送り、ユダヤ人を非難しましたが、彼は何もしなかったようです。

また、エステル記全体を読むと、アハシュエロスがユダヤ人を憎んでいなかったことがわかります。

では、どうしてエステルは国籍を隠したのでしょうか。私はわかりませんが、たぶんモルデカイはペルシャ人がエステルの国籍を知ったら、彼女が女王になれないと考えたのではないでしょうか。

しかし、もしそれが真実だったとしたら、それは良いことだったのではないでしょうか。もし彼女が正直に国籍を明かしていたら、アハシュエロスに会う前にエステルは家に帰されていたかもしれません。

あなたはこう言うかもしれません。「でも、エステルが女王にならなかったら、ユダヤ人は殺されてしまったでしょう。」

けれども、以下の二つのことを心に留めてください。

一つ目は、4章でモルデカイがエステルにこう言ったことです。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。(エステル記4:14)

もしエステルが女王にならなかったとしても、モルデカイの言葉は依然として真実だったと思います。神様は別の方法でユダヤ人を救われたことでしょう。

二つ目の理由として、もしハマンがエステルがユダヤ人であることを知っていたなら、ユダヤ人を殺す計画を立てたでしょうか(エステル3章)。きっとそうはしなかったと思います。

ここで私が言いたいのは次のことです。私たちが神様の心に従っているからこそ、神様は私たちを用いられるのでしょうか。それとも、私たちが悪い決断をしてしまったとしても、神様は私たちを用いられるのでしょうか。

もちろん、神様は働かれてユダヤ人を救われました。そして、エステルがすでに女王であったため、神様は彼女を通してユダヤ人を救われました。しかし、もし彼女が女王ではなかったとしても、神様は別の方法でユダヤ人を救われたことでしょう。

私たちはモルデカイとエステルを悪い人だと言っているのでしょうか。そうではありません。おそらく彼らは困難な状況の中で、自分たちの目に正しいと思えることを行っていたのでしょう。(士師記21:25)

とはいえ、時には彼らは誤った決断をしてしまいました。彼らの目には正しいと思えていたかもしれませんが、神様の目から見ると、彼らが行っていたことは正しくありませんでした。

ですから注意してください。あなたの行動を神様の言葉によって判断してください。あなた自身の目に正しいと思えることを行うのではなく、神様の基準によって生きてください。

あなたの状況を持ち出して、自分の行動を正当化しようとするかもしれません。

または、あなたは「でも、神様は私を通して良いことを行われました」と言うかもしれません。

しかし、どうして神様はあなたを用いられたのでしょうか。

あなたは神様の心に従っているからでしょうか。

それとも、あなたが誤った決断をしたにもかかわらず、神様はあなたを用いられたのでしょうか。

コメントを残す