この混迷の世にあっては、平和を見つけるのが難しい時もあります。特に、皆があなたに反対している時には、平和を見つけるのは一層難しくなります。
サウルやアブサロムがダビデを攻めた時、ダビデもそのように感じたと思います。
だからこそ、ダビデは神様に向かって叫びました。
私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。
人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。(詩篇4:1-2)
ダビデの苦しみの中で、周りの人々はダビデの信仰をからかっていたかもしれません。「神様はあなたを救えない。神様は本当に存在しているのだろうか。」
現代でも、人々は同じようなことを言います。彼らは偽りの神々を礼拝し、お金の「神」や、セックスの「神」や、力の「神」を追い求めます。
だからこそ、私たちが問題に直面する時、彼らは私たちが神様に従うことをからかいます。
けれども、ダビデはその敵にこう言いました。
知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(3)
つまり、「あなたは私の信仰をからかうかもしれないけど、私は神様のものです。結局、あなたはそのことを知ります。神様は私の祈りに応えてくださるから。」
そして、自分自身に、また苦しんでいる私たちにこう言います。
恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。(4)
私たちが怒ることは悪いことではありません。イエス様も怒ったことがあります。
しかし、怒るときには、罪を犯さないようにする必要があります。
そのため、神様の前に静まり、自分の心を探り、自分の態度を見直すべきです。そして、神様が私たちの心を汚すものを清めてくださるように祈るべきです。
特に、苦々しい思いに気を付けなければなりません。私たちが苦々しい思いを持ち続けると、その苦々しい思いは、がんのように私たちの人生に広がるからです。
だからこそ、神様がその苦々しい思いを取り去ってくださるように祈るべきです。
そしてダビデはこう言いました。
義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。(5)
イエス様によれば、義のいけにえを捧げたいなら、健康な人間関係を保つべきです。イエス様はこう言われました。
だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから、来て、その供え物をささげなさい。(マタイ5:23-24)
時々、人々が私たちを傷つけ、私たちが仲直りしようとしても、彼らが傷つけ続けることがあります。その場合、私たちは神様がふさわしい時にその人を扱ってくださると信頼すべきです。私たちは復讐してはいけません。
それでも、できるだけ、その人から距離を保つ方が良いです。
サウルがダビデを殺そうと思った時、ダビデはサウルから逃げました。けれども、ダビデのように、その人に対して苦々しい思いを持たないようにしましょう。むしろ、神様に信頼し、その状況とその人を神様の手に委ねるべきです。
そして、苦しむ時、神様の愛と慈しみを疑わないでください。むしろ、ダビデのように、こう祈りましょう。
どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。(6)
言い換えるなら、「主よ。私に向かってください。あなたが私とともにおられることを現してください。また、私たちに対するあなたの愛を現してください。なぜなら、あなたの光が私を照らす時、私の周りのものは、ただ陰になるから。」
その態度を取れば、神様の喜びはあなたを満たし、あなたはダビデのように言うでしょう。
平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(8)
あなたはどうですか。神様の平和を知っているでしょうか。
